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「信心の成長」への祈り

金光教報5月号 巻頭言

天地のお恵みの中、若葉が輝く5月を迎えさせていただく。梅の実も少しずつ大きくなる今の季節に必ず思い出すことがある。
 昭和11年5月のこと。私の祖母が梅売りから梅を買った。けれど、隣人には安く売ったのに、自分には安くしてくれなかったことに腹を立てながら、いつも通りに梅を漬けたものの、梅漬けのお届けの御祈念はしないままだった。
 すると、3日経っても梅酢が出ない。「何かの手違いかな」と手順を確かめてみるが手落ちはない。「ご無礼があったのかもしれない」と気付かせられ、自宅のご神前で静かに祈念をしていると、「梅一粒でも、ことごとく氏子の命のために天地の神の恵ませ給うものである」とのお言葉が思い浮かんできた。「これまでは必ず神様に御礼を申して漬けさせていただいていたのに、このたびに限っては、買う時の不機嫌な気持ちのままに、大切な神様への御礼のお届けを忘れていた。信心していない人と同じような漬け方になっている。そのお気付けだ」と気付かせられ、恐れ入って、一心におわびを申し、お神酒を一滴、梅漬けの中に頂いてご祈念した。そして、翌朝、朝の御祈念の後、梅を漬けているかめのふたを取ってみると、一夜にして梅が浮くほどの梅酢が上がり、ただただ恐れ入ってしまった。
 そして、早速、ご縁を頂いていた日田教会に参拝して、堀尾保治先生に、事の次第を申し上げ、「私のような不信心者に、わずかなことにもいちいち神様がお気付けくださる思おぼし召めしのほどが忝かたじけなくて、お礼の申しようもございません」とお届けをすると、先生は、「神様が見えるようにあるなぁ」と喜んでくださり、後日、この内容について、
「これは申すまでもなく、神様のおとがめではない。『わずかな腹立ちに心を曇らせて、おまえに似合わぬ油断をするが、それはおまえのために、よろしくないぞ。そんなところからおかげを落とすぞ。気を付けよ』と神様がお気付けくだされたのであって、神様が氏子の信心の伸びゆくことを、いかに求めくだされているか、手に取るように感じます。また、これをありがたく受け取るところが信心の大切なことであります」と述べておられる。
 祖母は先生のお取次をとおして、神様に出会い、神様のみ心に触れ続けてこられたことで、梅漬けのことを、お気付けと受け止めることができたのではないかと思う。
「…どうして、神様がかわいい氏子に罰ばちをお当てなさろうぞ。『心得が違うておるぞ。気をつけい』と、お気づけがあるのじゃから、今までとは心を改めてご信心をすれば、不幸せがおかげになってくる」とのみ教えがある。
 お気付けをとおして、神様がいかに、私たちの信心の成長を待ち望んでおられ、また、どれほど願いを掛けてくださっているのかを、ご神縁を頂いている私たちも改めて感じていきたいものである。

財務部長 森義信

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