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マイ・フェロー・メンバーズ―道の友垣として金光大神を世界へ―

金光教報 6月号 巻頭言

 教団独立記念祭で思い出されるのは2000年の夏。その年、教団独立100年を記念する北米・ハワイ合同信奉者集会が、前教主金光様ご夫妻をお招きしてハワイ島で開催された。その時、記念の祭典の中でお話しくださった、前教主金光様の「マイ・フェロー・メンバーズ(信奉者の皆さま)」で始まる英語のスピーチを思い出すたび、胸が熱くなる。
 本教の海外布教は、教団独立間もない1902年に台湾の台北に始まった。その翌年、韓国の釜山に教会が設立され、さらに1907年には、満州の大連へと道は広がった。その大連教会からハワイ島にお道が伝えられたことを思えば、金光様をお迎えし、喜びに満ちたあの100年祭は、神様のなされた業(わざ)だったのかもしれない。そして、あの時あの場で金光様は、教団草創期以降のことに思いを寄せられた。
 教祖様がご帰幽になられる頃から、直信の方々が教祖様のご信心を後の世に確かに伝えるために、公に宗教集団として認められるよう並々ならぬ努力を重ねられたこと、そしてそれ以降、先人たちは教団内外に起こったさまざまな困難を乗り越えられたこと、とりわけ第2次世界大戦という苦難の時をも、信心の力を得て生き抜かれたことに触れられた金光様は、「戦後、日本にも信教の自由、表現の自由が認められることになり、教団は金光大神の自由で寛容な、世界の人々の助かりを祈る信心を、政府から干渉されることなく、世の人々に示すことができるようになった」と感慨深く仰せになられた。
 そして移民時代、戦争時代の人種差別や偏見に心身を痛めながら、神様を頼りに信心の種を異国の地にまいてくださった先人の方々に、「自然環境も文化環境も異なる地での布教は、言葉では言い表せない汗や血のにじむご苦労があられたことと拝察します。とくに真珠湾攻撃後、布教が禁じられたばかりか、強制収容所に隔離されたり、捕虜交換のため日本に送還されるという出来事に出遭われながら、ひたすら信心を貫いてこられました」と心から感謝の意を表された。
 さらに、その願いを受け、今を生きる信奉者の方々と共に、教団独立100年の記念祭をお祝いできることを、心からお喜びになられ、そこからの「ステディー・グロース(着実な発展)」を願われた。
 そして最後に、「教祖金光大神様のみ教えのままに、苦しみや悲しみが日々の生活に襲いかかってきても、先人の方々のご苦労に思いをはせながら、道の友垣として共に助け合い、祈り合って、世界の平和と人類の助かりのお役に立たせていただきたい」と仰せになられた。
 来る6月13日、教団独立記念祭に引き続いて執り行われる教主就退任式に当たり、この金光様のメッセージを頂き直し、ここからのおかげを蒙ってまいりたいと願わされている。

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