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広くて深い、母の信心【金光新聞】

お母さんのすごさ

 桜の開花とともに訪れる入学シーズン。今朝、庭先から、真新しい少し大きめの高校の制服を着た娘さんが、希望に満ちた弾む心からか、スキップをしながらお母さんに駆け寄り、腕を組もうとする姿を見掛けました。
 自然と私(58)の心は和らぎ、昔の自分の体験を思い出しました。
 四十数年前、私も母と二人で高校の入学式に向かう途中、工事現場の近くを通り掛かった時のことです。
 道に小石や砂利が散らかっていたので、私は「危ないなあ」と、小石を蹴飛ばしながら文句を言うと、母から「裕子!」と強い口調で呼び止められました。私は、熱心に信心をしていた母の口癖を思い出し、「はいはい、工事に事故過ちがないように、お願いしますよ」と、母が言いそうなことを答えてみました。

 すると母は、「それで終わり?」と言うのです。きょとんとしている私に、「この看板からすると、電話工事だね…。事故過ちがないだけでは、まだ足りないね。『無事に工事が終わって、この電話線を通して、幸せな明るい会話が通い合いますように』とお願いさせて頂かなきゃ」と言いました。
 その時私は、羽織姿の母のりんとしたたたずまいとも重なり、話の奥深さの余韻に感じ入ってしまいました。「やっぱりお母さんは懐の大きな人だなあ」と感心した出来事の一つです。

広くて深い心

 そんな尊敬する母が亡くなり、今年はちょうど10年になりますが、母は苦労の人でした。母の実家は、会社が倒産して家庭が崩壊し、それ以来、不幸続きだったそうです。6人きょうだいの末っ子だった母は、年の離れた義姉らいじめを受けながら、病弱だった母親の介護をしていました。
 難儀の中で母親を心の支えに生きていた母でしたが、近所の人が毎朝楽しそうに金光教の教会に参拝する姿に引かれ、24歳の頃から教会への朝参りを始めました。
 母は、教会にお参りしては、お結界の先生に身の上話を聞いてもらいました。また、先生もさまざまなお話をしてくださり、当時の母にとっては、先生のお話の一つ一つが、納得のいく生きる上での道しるべを教えてもらっている思いがしたそうです。

 その中の一つに、母が大切にしていたエピソードがあります。ある時、母は義姉の中傷やいじめに耐えられなくなり、お結界で泣きながらお届けをしました。先生から、「人はなあ、心が大きいだけじゃまだまだ足りん。広うて深うないといかん。あんたが信心して、そうならせてもらわんとな」と言われたそうです。母は、その言葉が心に響き、ありがたくてありがたくてたまらなかった、と話してくれました。
 それからは、怒りを相手にぶつけるのではなく、自分の心や自分の生活の在り方を常に見詰め直すようになりました。そして、何に対しても「はい」と答える姿勢を心掛け、義姉の立場を尊重し、共に生活していこうという思いで接するようになったといいます。
 すると、義姉との関係も次第に変わり、義姉から「今日の晩ご飯は何にしようかね?」と尋ねられた時には、うれしくて、「お赤飯!」と言いたい心境だったと、笑いながら話してくれました。 私は母の信心には到底追い付けませんが、「まだまだここから、信心を進めさせて頂きます」と桜の花を前に所信表明をした、春の朝でした。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

「心に届く信心真話」2020年4月26日号掲載

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タグ: 文字, 信心真話, 金光新聞,