「神さんのおかげです」【金光新聞】
一体これはどういうことか
現在、私(75)と夫(83)が経営する商店は、開業して50年近くなります。駄菓子、パンやおにぎりなどの軽食の他、日用品も陳列しています。そのため幼い子どもから、学生、サラリーマンと、朝から晩まで幅広い年代の人が来てくれます。年中無休なので、お客さんから「いつも開いてるお店」として親しまれてきました。 特に夫は商売繁盛と家族の健康を願って、独身時代から毎朝の教会参拝を欠かしませんでした。私はというと時々お参りする程度で、たいてい店番でした。お店を開けてさえいればお客さんが来てくれると信じ、何としても閉めないよう努め、それで実際、結構な売り上げを維持できていました。ところが、それはある出来事から思いもかけぬ展開になりました。
今から15年前のたばこ組合の1泊旅行の時のことです。私が一人で参加し、夫が店番をすることにしました。ところが、私が家を出てしばらくすると、夫から「急に体調がおかしくなって、苦しくて動けない。急いで帰ってきてほしい」と連絡が入ったのです。日ごろ、病気知らずの夫がそんなことになるのは初めてのことだったので、私は慌てて新幹線で引き返し、苦しむ夫を病院へ連れていきました。けれども検査の結果は全く異常無く、まるで何事も無かったかのように回復したのです。
結局、その日は半日閉店することとなり「店を閉めない方針」が、あっけなく崩れてしまいました。今までこだわってきただけにショックでした
が、一体これはどういうことかと考えてみました。
商売繁盛は、夫婦で休まず働いているからだという思いが強くなり、また夫の健康も当たり前のことだと思っていたのではないか。あれほど苦し
んでいた夫が一瞬にして回復する不思議な光景は、 神様が見せてくださった 「神様のおかげ」 だったのかもしれない、と。
おかげを実感して
そう感じた私たちは、教会のお祭りへの参拝や、ご本部へのお礼参拝を二人そろってするようになりました。もちろん、お店を閉めてです。すると、不思議なことに店を閉めようとする直前に都合よくお客さんが来たり、注文の電話が入ったりで、売り上げが落ちるどころか、さらに増えたのです。そこで、朝一番のお客さんが一段落したら一度店を閉め、二人そろって教会に日参し、また、教会のご本部参拝の日は休業することにしました。今では、シャッターを下ろしていると、ご近所さんが「教会にお参り?」と尋ねてくれるようになりました。
無口な夫ですが、以前から、どんなこともお結界でお届けし、お取次を頂いてから行動に移す人でした。それが、あの出来事以来、夫が自分で考
えることも、まるでその土台に神様が据わってくださっているかのようで、不思議と何事も都合よく運ぶのです。
ある日、高齢で足の弱った夫の車椅子を押していると、見知らぬ方が「奥さん、ようお世話してあげはりますなあ」と、そして夫には「奥さんのおかげですで」と声を掛けてくれました。すると私の口から「いいえ、神さんのおかげですねん」という返答が自然に出てきて、びっくりしてしまいました。金光教とは縁の無い家で生まれ育った私には、なじみのない言葉だったからです。神様のおかげを実感し続けるうちに神様をこんなにも身近に感じられるようになったのだとうれしく思います。
※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています