箏のご用はお礼の心で【金光新聞】
大先輩とともに
「森山さん無事にご用できました」と私(51)は教会のご霊前に手を合わせました。
昨年の5月に97歳で亡くなられた森山さんは、大祭時などの典楽の箏(こと)のご用の大先輩であり、信心の大先輩でした。その日は教会で秋の大祭が仕えられ、私は祭典時の奏楽で箏のご用をさせて頂きました。
実は前の晩から「もしうまくできなかったらどうしよう」と、不安と緊張で落ち着かなかったのですが、生前、森山さんが私に下さったかばんに荷物を詰めながら「森山さん一緒に参拝してください」とお祈りしました。また、奏楽が始まる時にも「森山さん一緒にご用してください」とお祈りし、そのおかげで緊張もせず、失敗もなくご用することができました。
森山さんは若い時から箏の稽古をされていたようで、私が教会に参拝し始めた時にも元気に箏のご用をされていました。その当時の私は子育てや家事に追われ、参拝するのがやっとの状況でしたが、子育てが少し落ち着いてきたころから典楽の稽古をするようになったのです。
そして数年後、森山さんが87歳の時、箏の演奏に合わせて歌うのに十分な声が出なくなったとのことで、箏のご用を引かれることになり、私がそのご用をさせてもらうことになったのです。
私は森山さんのように間違いがなく弾けるのか、音程を外すことなく歌えるのか、ということがいつもプレッシャーになりました。
祭典を迎えると知らず知らずのうちに緊張し、イライラしてきます。そして「早く終わってほしい」という気持ちでいっぱいになり、せっかくのご用がちっともありがたく思えませんでした。
そんな気持ちでご用をしていたのですが、森山さんは私が祭典で奏楽した後には、毎回すぐ駆け寄ってくれて「大きい声が出てたよ」などと褒めたり、励ましてくださいました。
そしてよく次のようなご自身の若いころの話をしてくれたのです。
お礼と喜びの心
森山さんは女学生の時に父親を亡くしました。以後母親が女手一つで苦労しながら育ててくれました。そして結婚後、戦後の混乱の中、1男2女の子どもに恵まれましたが、夫は事業に失敗し、しばらくは酒浸りの日々でした。どうにか転職し、ようやく落ち着いたと思った矢先に53歳という若さで病死しました。
夫に先立たれ、森山さんも母親と同じく女手一つで子どもを育てるようになりました。下の子どもはまだ自立していない時期で大変不安だったそうです。
しかし、どんなに忙しくても教会参拝は欠かさず、神様にすがりながら奮起して、料理を一から勉強しました。
そして数年後、長男夫婦と食堂を始めました。同時に典楽のご用や教会の婦人部のご用もその時々におかげを頂きながら励みました。
森山さんは身の上話をした後には必ず、「ご用ができるのは、自分をはじめ家族が健康で、そのほか万事にお繰り合わせを頂いていればこそできること。ありがたいね」と、言われていました。
森山さんのこの言葉を聞くたびに私はイライラした心が解きほぐされ、お礼の心でご用をさせてもらうことを教えて頂いたように思います。
今後もご霊神様になられた森山さんに「上手になったね」と喜んでもらえるよう、お礼と喜びの心を持ってご用にお使い頂きたいと思います。
※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています