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相手が喜ぶ親切とは?【金光新聞】

なんで思うようにいかないのか

 私(31)が参拝する教会の先生は、いつも「人のお役に立てるようになりましょう。人が助かる信心をしましょう」とお話しくださいます。そこで私は、相手を思いやり、親切にすることを、日々心掛けてきました。
 ある朝、妻から、「昨日けがした手がまだ痛いの。家事ができそうにないから、コンビニで朝食を買ってきてもらえない?」と言われました。その時ふと「買いに行って戻ってくる時間はないなあ。よし、自分で朝食を作ろう。きっと妻も喜んでくれるはず」と思い付きました。
 できた朝食を得意げに並べていると、妻が「作ってくれたの? わざわざありがとう。でも片付けは?」と言うのです。私はハッとしました。片付けのことなんて頭にありませんでした。片付けまでしていたら会社に遅刻してしまいます。「だからお弁当買ってきてって言ったのに」と妻のイライラは収まりません。

 結局気まずい空気の中で朝食を済ませて家を出ましたが、「あんな言い方しなくてもいいじゃないか。よかれと思ってしたことなんだし、もう少し感謝してくれてもいいじゃないか」と、私の心のモヤモヤは膨らむ一方でした。
 会社に着いた私は、朝から大事な会議の準備に追われていました。すると、後輩の佐藤君がやってきて「何かお手伝いしましょうか」と声を掛け
てくれました。そこで、 会議用資料のコピーをお願いしたのですが、佐藤君が気を利かせ過ぎて、 頼んでもいないホチキス留めまでしてくれていました。資料の一部に部外秘のものがあり、会議の後に回収するために、その一部を除いてホチキス留めするつもりだったので、コピーだけをお願いしたのです。結局針を抜いてやり直すことになってしまい、余計なことをしてくれたなあと、腹立たしい気持ちになりました。

日常生活すべてにわたって

 私はイライラしながら今朝からのことを思い返していました。「相手を思いやって親切にするというのは、良いことのはずだ。なのに、佐藤君の親切は私をいらつかせ、今朝の私の思いやりは、妻をいらつかせてしまった。相手を思いやり、親切にするといっても、それが相手にどう受け止められるかは、結局相手次第のところもある。相手に喜んでもらえる親切って難しいな」。私は退社後、教会へ参拝し、今日起きたことを話しました。
 先生は「あなたも佐藤君も、気を利かせたつもりが、結局相手の手間を増やしてしまったというわけですね。思いやりからの行為でも、独り善がりな思い込みで進めると、むしろ迷惑を掛けることにもなる。教祖様は『信心する者は何事にも実意丁寧、行き届いた働きをするようになれ』と、仰
せられました。相手の気持ちを酌んで細かいところまで気を配る。このことを、日常生活の中でどこまで意識しているか、それは人間関係だけでは
なく、神様との関係も同じことだと思いますよ」と話してくださいました。

 親切や思いやりといいながら、相手の気持ちを考えず、自分の思い込みや都合を一方的に押し付けていたことに気付きました。そして、「せっかくのこちらの親切を受け取ってもらえなかった」と落ち込んだり、「余計な親切なんて迷惑なだけだ」、と切り捨てていたわけです。
 相手の立場に立って思いやる、細やかな心配りができるよう神様にお願いしながら、人のお役に立てる信心の稽古を進めていきたいと思います。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(「心に届く信心真話」2017年10月22日号掲載)

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タグ: 文字, 信心真話, 金光新聞,