【巻頭言】金光教団の成り立ちを想う
教団独立記念祭をお迎えするに当たり、教団独立当初のことに想いを巡らせてみました。
教祖様ご帰幽後、とせ様もお亡くなりになられて後の明治18年に、金光教は神道傘下において、悲願の布教公認という大きな一歩を踏み出すことができました。しかし、神道の強い影響下に置かれていたため、教祖様のご信心を伝えるには大きな制約があり、さらに後の明治33年になって、やっと金光教として独立することができました。その数日前の6月5日、一教独立を成し遂げようと心勇んでいた佐藤範雄先生は「教会所構造様式も世界唯一の方式」であるべき、つまり「独自性のある教会建物を示せ」という難問を政府の担当者に突き付けられて、次の歌を詠まれました。
浪風の逆まきたてる海原を 小舟(おぶね)こぎよす心地こそすれ(『信仰回顧六十五年』上巻)
言ってみれば、一教独立の直前に詠まれた歌ですが、うかがえるのは、喜びと希望に満ちた船出ではなく、心細い不安に満ちた心境であります。しかし、この難問も志を同じくする人々の知恵と努力によって、わずか数日で「教会所構造様式」を考案したことで、同年6月16日に認可を得ることができました。一方で、独立とはこれまでの神道本局という権威から離れることを意味しており、心躍る華々しい船出ではありますが、嵐の海に小舟がこぎ出したと言う方が、その心境にふさわしかったかもしれません。
その金光教という小舟に、すでに布教を始めていた多くの取次者の広前という小舟が寄り添ってきて、同じ願いを託した金光教という一船団を形作りながら、今日ここまで航海してきたというのが実体に近いのではないかと思います。教団はよく一艘(いっそう)の大きな船のようにイメージされますが、個性豊かな多くの船が寄り集まって、それでいて緩やかな横のつながりをもって、同じ「明(あか)い方へ」と航海する船団のようなイメージの方が、本教には当てはまるように思います。この各地の金光大神広前の多様性こそが、本教の独自性であり、歴史であり、強さであると思わせていただきます。
最後に、私事になりますが、このたび、図らずも岩﨑道與先生の後を受けて教務総長の御用を受けさせていただくことになりました。金光様の御祈念、御取次を頂いて、金光教という船団の多種多様な船が心一つに同じ方向に向かっていけるようにと願いつつ、共に進ませていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
教務総長 橋本 美智雄