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【金光新聞】人を祈り知った先生と神様の心

就職活動の悩み聞き

私(56)が参拝している金光教の教会では、「人のことが祈れるようになろう」という、信心目標が掲げられています。自分のことはもちろん、家族や友人、関わり合う人たちのことも神様に祈って、おかげを頂きましょう、という願いが込められています。

教会の先生から、その目標について何度も聞かせてもらってきました。私も大事なことだと分かってはいましたが、自分のことで精いっぱいで、人を祈るまではなかなかできませんでした。

大学生の時のことです。私は卒業後、実家の家業を継ぐつもりでいましたが、周りの友人たちは、就職活動で忙しくしていました。ある日、親友の佐藤君が、就職活動の悩みを聞いてほしいと、私に相談してきました。彼にはやりたい仕事があって、希望している会社があるものの、入社できるかどうか心配だと言います。いろいろと努力はしてきましたが、焦りと不安からか、気持ちに余裕がなくなっているようでした。

佐藤君の真剣で切実な相談に、私は希望の進路に進めるよう、神様にお願いして、おかげを頂こうと思いました。しかし、友人の人生を左右するかもしれない内容です。自分ではおかげにならない、教会の先生に祈ってもらおうと思いました。きっと先生は、私の気持ちも佐藤君の願いも受け止めてご祈念してくださり、必ずおかげが頂けると考えたからです。

自分にできることは

ところが、先生は私の話を聞くなり、「それはあんたがお願いしたらいい」と言いました。予想外の言葉に、私は突き放されたような思いで、教会を後にしました。帰りの道中、先生はどうしてああ言ったのか、何度も考えていると、

「人のことが祈れるようになろう」という信心目標を思い出しました。「そうか。いつもそう教えてもらっているのに、私は先生に頼んで、自分の役目は終わった気になっていた」と気付き、私が祈らなければ、と思えたのです。

それからは、大学の帰りや休みの日も、時間を見つけては参拝し、佐藤君が希望の会社に就職できるよう、毎日神様にお願いするようになりました。そうすると、だんだんと、祈りの内容が広がっていくのを感じました。佐藤君の存在が、今までよりも身近に感じられるようになり、願いの成就だけでなく、「今日も一日、元気に過ごせますように」と、彼の生活自体を祈るようになりました。

しばらくして、教会で先生と話をしていると、急に佐藤君の近況を尋ねられました。こちらから報告はしていませんでしたが、先生もずっとご祈念してくれていたのだと分かり、神様にも先生にも包まれているように感じました。

先生の願いが言葉に

佐藤君は、無事に希望していた会社に採用されました。喜ぶ彼の様子を見て、本人の頑張りはもちろんですが、神様が私たちのお願いを聞き受けてくださり、おかげを授けてくださったんだと思え、すぐに教会でお礼のお届けをさせて頂きました。

あれから30年以上がたちました。折に触れ、当時のことを思い出します。あの時、先生が言った「あんたがお願いしたらいい」という言葉は、決して突き放そうとしたのではなく、人を祈る経験を通して、分け隔てなく人の助かりを願ってくださっている神様のお心を理解し、人も自分も助かる金光教の信心を、私に身に付けてほしいという、先生の願いの表れだったのでしょう。この思いを忘れることなく、人を祈って、神様と人のお役に立ちたいと思っています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。

「心に届く信心真話」2022年6月29日号掲載

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タグ: 文字, 金光新聞, 信心真話,