【巻頭言】「ありがたい」という心を土台に
金光教報 8月号 巻頭言
ご本部で御用に当たっていた父が、ある出来事をこのように書き残しています。
「在籍教会で、あまりにも心が痛むことがおこり、代わることができれば、こんな辛つらい思いをせずにすむであろうに、という逃げの気持ちでお届けした時に、四代金光様は、『只今、ここに座って教主の御用にお使いいただいていますが、神様にお願いし、神様のおかげを受けて、真心を尽くさせてもらう、というだけではいけませんなぁ。この御用にお使いいただくことがありがたいと思えない時は、どうもうまくいきませんなぁ』と仰った。難儀に出合った時、とりわけ事が順調に運ばないことの辛さから逃げ出したいと思うような時、『この御用にお使いいただくことがありがたい』という気持ちは、どんな立場や役割においても、非常に大切なことであると思えてなりません」
逃げ出したいとさえ思う時には、とてもありがたいとは思えない時でもありますが、四代金光様は、父の思いを否定はされず、そういう気持ちを受け止めてくださった上で、御自身が教主という重責を担われる中で実感しておられるご内容を父に取り次いでくださり、祈りを込めてくださいました。父はその後ずっとこの事をありがたく大切に受けさせていただき、取り組ませていただいたのだと思わされています。
「神様にお願いし、神様のおかげを受けて真心を尽くさせてもらう」ということだけでも、御用に対する姿勢としては十分に尊いことだと思われますが、金光様は、「この御用にお使いいただくことがありがたいと思えない時は、どうもうまくいきませんなぁ」と仰っています。
私はこのお言葉を、神様のみ祈りとみ働きを受けて「ありがたい」という心が土台になってこそ、御用が御用となってゆくのだと思われてなりません。
金光様は、私共の心に「ありがたい」という思いが生まれるように導いてくださり、さらに幾重にも足して神様にお届けくださり、そのみ祈りの中で、私共は今日までおかげを蒙らせていただくことができています。
教祖140年のお年柄にあって、教祖様に続く歴代金光様は、このように深く尊い日々の積み重ねの中、「神と人とあいよかけよで立ち行く『神人の道』」を現し続けておられます。
今日までのその尊いお働きを受け、私共もまたここから「ありがたい」という心が土台となって、「神人の道」が現されてくる御用にお使いいただけますよう、日々の信心の稽古を積み重ねてゆきたいと願わせられています。