全ての人の幸せ願い続ける神様【金光新聞】
つらい生い立ち抱え
ある日、教会の近くに住む祥子さん(50代)が、教会を訪ねてきました。「持病が悪化したので、町内会のバス旅行への参加を取りやめたい」と、町内会長を務める教会の先生に相談しに来たのです。
祥子さんの持病は精神的な病で、心療内科に通っていますが、日常生活もままならぬほどつらい状態でした。教会の先生は気の毒に思って、「バス旅行のことは分かりましたが、本当につらそうですね。良かったら、元気になれるよう、神様にお願いしてみませんか」と声を掛けました。
すると、祥子さんは翌日から、同居する正行さんと2人で、教会の朝ご祈念にやって来ました。長年お参りする信者さんに交じって毎日参拝するようになり、1カ月後には元気になって、無事にバス旅行にも参加できたのです。
祥子さんの生い立ちは、実に大変なものでした。早くに母親を亡くし、貧しさの中で物心ついた頃から地域の家々を回って、食べ物やお金を分けてもらう暮らしをしてきました。やがて結婚しましたが、精神的な病気を理由に、家を追い出されるようにして離婚し、それ以来、一度も子どもには会わせてもらえていません。そして、数年前に正行さんと出会い、この町で生活し始めたのでした。
教会が安心の場所に
そんな祥子さんにとって、教会で過ごす時間は楽しいものでした。月例祭にも欠かさず参拝し、信者さんとも顔なじみになる中、ふとした際に周りに少し違和感を感じさせるような言動があり、軽度の知的障害があることが分かりました。例えば、茶話会などで、みんなでお菓子を分けようとする際に、欲しいと思えば、全部取ってしまおうとするのです。初めは、信者さんたちも戸惑いましたが、年配の信者さんがさりげなく声を掛け、「こういった時は皆で分けるのよ」と伝えました。
教会の行事やご用に積極的に参加し、みんなで楽しそうに過ごす姿から、教会が安心できる場になっていることが周りにも伝わっていました。その後、体調も随分良くなり、明るさが見られるようになった祥子さんは、辞めていた清掃の仕事にも復帰できました。ところが、働き始めて間もなく体調を崩し、入院先で亡くなってしまいました。教会に参拝し始めて3年ほどがたっていました。
最後の3年間を託す
身寄りのなかった祥子さんは、市役所のお世話で埋葬されました。会葬者も少なく簡素な葬儀だったので、教会の先生と正行さんは、改めて教会で丁重に葬儀を仕え、祥子さんを見送りました。
その際、正行さんが形見の品を持ってきました。小銭が入ったピンク色の小さながまぐちでした。祥子さんが生前、他の信者さんを見て神様に何かお供えしたいという願いを持っていたことを知っていた教会の先生と正行さんは、祥子さんの祭壇にがまぐちを供えて手を合わせました。
祥子さんが教会に参拝して信心をしたのは、その人生からすればわずかな期間です。しかし、神様は祥子さんが生まれて以来、ずっと見守っておられ、最後の3年間を託すかのように教会に引き寄せたのだと、教会の先生はそう思えてなりませんでした。
そして、神様は、信心していてもいなくても、全ての人間が助かり、幸せになることを願い続けておられるのだと感じました。だからこそ、教会の先生は、みたま様となった祥子さんのことはもちろん、どこかで暮らす祥子さんの子ども、正行さんや地域の人たちの立ち行きを祈らせてもらわずにはおれない思いになりました。
※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。