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父の祈りを通し神様とつながる【金光新聞】

父が送る分厚い手紙

 金光教教師として、神様一筋に生きた父が亡くなり、今年で10年になります。生前の思い出を振り返る時、娘の私(44)が大学進学を機に親元を離れていた時期に、たびたび手紙をもらっていたことを思い出します。
 当時、 郵便受けを開けると、封筒の分厚さで、すぐに父からだと分かったものです。青い万年筆の大きな字で、何枚もしたためられた手紙は、もっぱら信心の話で、教会参拝の大切さが書いてありました。私は学生だったこともあり、父の思いを素直にくめずに、ご縁のあった教会には時々お参りする程度でした。
 社会人になると、それまでにも増して手紙は厚くなり、その枚数に、半ば感心させられたものです。しかし、だんだんと「私が教会に参拝し、神様とつながってほしい」という父の思いが伝わってきて、次第にお参りする回数は増えていきました。
 ある時、友人から通勤用にバイクを譲り受けました。そのおかげで、満員電車から解放されただけではなく、電車では回り道になっていた教会に、すぐ行けるようになったのです。自宅と教会が思っていた以上に近かったことに驚き、私がより神様につながれるよう、父の祈りの中で整えられたのだと感じました。

父が代わりにお礼を

 やがて、教会参拝は、私の生活には欠かせないものになっていきました。仕事のことなど、当時抱えていた悩みや苦しみを、まるで神様に預けに行くように、教会へ通いました。教会の先生は、一言一言に天地の親神様の思いを込めて、時に温かく、時に厳しく話をしてくれました。参拝した後には、いつも 「きっと大丈夫」と、悩みに道がついていくように思えました。
 数年後、私は父のように金光教教師になろうと退職し、実家の教会に戻りました。ある日、私は自分が生まれてからの出来事を簡単な年表にまとめて、お結界の父に見せました。父は見るや否や、その年表を持ってご神前に進み、深々と拝礼してご祈念をしました。
 その数日後、ご神前の掃除をしていた私は、その紙がまだご神前に置かれているのに気付きました。小さな紙に箇条書きしただけなのに…と、内心申し訳なくなりながらも、「父が私に代わって、毎日神様にお礼のご祈念をしてくれているのだなあ」と思えました。
 その後、私は金光教教師となり、結婚して3人目の子どもを妊娠していた時に、父は亡くなりました。

夢で金光様がお言葉

 しばらくして、私は夢を見ました。夢の中で、私は父と二人で、本部広前にお参りしていました。父が先にお結界へ進み、私はその後に付いてお届けの順番を待っていました。お結界の金光様は、父に一言、「神様と太くつながることです」とおっしゃいました。私は、そこで目が覚め、気付くと涙がこぼれていました。そして、この先どんなことが起ころうとも、私が神様としっかりつながっていれば大丈夫、そう思えました。父が送り続けてくれた分厚い手紙に、私が一度も反発を感じなかったのは、父の祈りそのものだったからだと思います。その祈りは、常に真っすぐ神様に向かっていました。私は、そうした親の祈りを通して神様に導かれ、今に至っています。そして今なお、父の祈りに包まれていると実感しています。
 父が亡くなって10年という節目に、神様と私のつながりを改めて見詰め直すよう、父があの時の手紙のように、私の心に温かく語り掛けてくれている気がしています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。

「心に届く信心真話」2021年3月14日号掲載

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