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彼女にはおかげだった【金光新聞】

彼女にはおかげだった

 私は24歳の時、初めて親元を離れ、金光教学院(金光教の教師養成機関)に入学しました。学院は全寮制の相部屋で、約1年間修行します。電気製品はほとんど使えないなど、不自由なこともありましたが、仲間との出会いや、学院でしか味わえない体験など、私にとって有意義な時間となりました。
 その仲間に自閉症の女性がいました。彼女は、寡黙で感情を表に出すことが苦手なようで、私も入学当初はどう接したらいいか分からず、戸惑っていました。
 ある時、私が化粧していると、その様子を彼女がじっと見ていることに気付きました。私が「口紅、付けてみますか?」と尋ねると、うなずいたので、彼女の口に口紅を塗ってあげました。
 「とても似合っていますよ」と言うと、初めてにこっと笑顔を返してくれました。その姿を見て、私もうれしくなり、「笑ったらかわいいね」と言うと、また笑ってくれました。すると彼
女は、「口紅を買いに行きたい」と言うので、一緒に買いに行きました。

 それ以来、彼女は、毎日鏡を見て口紅を付けては、ほほ笑むようになりました。すると、少しずつ感情表現が豊かになってきて、あいさつも交わせるようになりました。
 そうこうしているうちに約1年がたち、卒業まであとわずかとなりました。少しずつ打ち解けてきた様子だったので、私は彼女と一緒に卒業できるものとばかり思っていました。ところが、卒業式の前日にご両親が迎えに来られ、実家に帰ってしまったのです。
 とてもショックでした。気持ちの整理がつかなくなった私は、金光教本部のお広前に参拝して、お結界に座られていた四代金光様(金光鑑太郎様)に、「どうして彼女と一緒に卒業できないのですか?」と、自分の思いをぶつけていました。

人を軽く見ないということ

 すると、金光様はいつになく険しい表情をされ、こうご理解くださいました。
 「あなたは、自分はおかげを頂いていて、彼女はおかげを頂いていないと思っていませんか。卒業できるできないが問題ではありません。彼女が学院に入り、みんなと生活ができ、ここまでこさせて頂けたおかげは、あなたが学院に入り、卒業させて頂けたおかげと比較できないほどのおかげかもしれないんですよ。
 あなたが彼女をかわいそうと思うのは、彼女はおかげを頂いていないと思っているからでしょう。人を軽く見てはいけません」
 確かに、卒業できる私たちはおかげを頂いていて、卒業できない彼女はおかげを頂いていない、かわいそうだと思っていました。金光様がおっしゃる通り、私は思い違いをしていたことに気付かされたのです。
 振り返ると、彼女がみんなと1年間修行ができたことや会話ができるようになったこと、化粧やおしゃれに目覚めて表情豊かになったこと自体、彼女にとって、大きなおかげだったのだと思てきました。

 私たちは、つい目に見える事柄だけを見て、幸せか、不幸せかを判断しがちです。「人を軽く見ない」ということは、その人その人が神様から授かっているおかげとは何か、ということに思いを寄せることだと気付かせて頂きました。
 教師になった今、このことを忘れずに、出会う人それぞれが頂いているおかげについて思いを巡らせながら、ご用をさせて頂いています。
※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

「心に届く信心真話」2020年9月27日号掲載

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タグ: 文字, 信心真話, 金光新聞,