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当たり前のありがたさ【金光新聞】

信仰のために結婚するのではない

 私(46)は、金光教の教会でご用をしている夫と出会うまで、金光教について何も知りませんでした。結婚が決まった時も、「信仰のために結婚するのではない」と自分に言い聞かせ、金光教に対して関心を持とうとは思いませんでした。
 しかし、教会で生活するようになると、信徒の方々が毎日参拝する姿や、仕事の都合を付けて、熱心にご用に打ち込む姿に触れるようになり、少しずつ金光教への興味が湧いてきました。さらに、どこまでも神様を大切にし、人の助かりを祈っている夫や義母の姿を目の当たりにするうちに、「みんなどうしてそこまでするのだろう。私も信心をしてみようかな」と、心が変化してきました。
 気持ちが落ち込んだ時には、お広前でご祈念をすると心が落ち着くということを知りました。また、友人の悩みを聞いた時に、今までなら、その時に思い付いたアドバイスをするぐらいだったものが、友人の悩みが解決するよう、神様にお願いするようになりました。

 自分なりに、金光教の良さ、信心をすることの大切さを分からせて頂くと、少しずつですが、私の生き方は変わってきたように感じました。すると、自分の両親にも、金光教の良さを伝えられたら、と考えるようになりました。
 結婚から13年がたったころ、私たち夫婦は待望の赤ちゃんを授かりました。孫の誕生を待ち望んでいた私の両親も、とても喜んでくれ、母は孫の顔見たさに、毎月教会で仕えられる月例祭に参拝するようになりました。その上、春と秋に仕えられる大祭の折には、積極的にご用を引き受けてくれるようになり、信徒の方々とも打ち解けていきました。私は、そんな母の姿をうれしく思いながら見守っていました。

思いも寄らない母からのメール

 昨年末のことです。消防署から電話があり、母が交通事故に遭って、病院に搬送されたと知らされました。私は急いで病院へ向かいながら、母のことはもちろん、事故の相手のこと、介護が必要な父のお世話のこと、金銭面のことなど、悪い想像ばかり膨らませていました。
 病院に着いて話を聞くと、母が運転していた車がひっくり返るほどの大事故だったそうですが、幸いなことに、母はかすり傷程度のけがで済み、相手にもけがはないとのことでした。車は廃車になりましたが、保険を使って新しい車を手配することもできました。事故に遭ったことは災難でしたが、これだけのことで済んだのは、神様が守ってくださったおかげだと、私は強く感じました。
 翌日、母からこんなメールが届きました。「夜寝て、朝起きる。当たり前と思っていましたが、今日は、とてもありがたさを感じます」。思いも寄らないメールの内容に驚きつつも、母がそんな思いになってくれたことをとてもありがたく感じました。私はすぐに、「本当におかげだったね、ありがたいね。神様によくお礼しようね」と返信し、教会のお広前のお結界で夫に母の言葉をお届けさせて頂きました。

 大きな事故にもかかわらず、大事に至らなかったことは大きなおかげだったと思います。ですが、それ以上に私がうれしかったのは、「当たり前のことがありがたい」ということに母が気付いてくれたことでした。私は神様に、母に信心を伝えるチャンスを頂いたことへのお礼を申し上げ、これからの親子の信心の成長を祈らせて頂きました。
※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

「心に届く信心真話」2020年8月16日号掲載

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タグ: 文字, 信心真話, 金光新聞,