弔いの簡略化とグリーフケア【金光新聞】
宗教者の言葉が心の支えに
近年、葬儀の簡略化が急速に進んでいる。その一方で、死別の「悲しみ」を癒やす、グリーフケアという取り組みの存在が広く知られるようになった。時代状況が急激に変化していく中で、長年、旅立ちのお世話をさせて頂いてきた立場から、感じるところを述べてみたい。
平成の30年間で、葬儀は一般葬よりも家族葬のニーズが著しい伸びを見せ、葬儀後の故人をしのぶ法事も、まとめて済ますことが多くなった。
5年ほど前、仏式でお葬儀をされた方が、ご出棺の前に「初七日」のお経を頂き、火葬・お骨揚げの後に、「四十九日」のお経を頂くというケースがあったという。同業者から聞いた話で、どういうご事情か詳しくは分からないが、一日で忌明け(四十九日)までの法要を繰り上げて済ませたわけである。
確かに、地方によっては遠方の親族を気遣い、7日ごとに行われる法要を繰り上げることは珍しいことではない。しかし、その話を聞かされた時にはさすがに驚きを隠せなかった。とはいえ、葬儀を仕える宗教者も、そうした状況を受け入れざるを得なくなってきている。
ところで、法要という行事は、残された者にとって、どんな意味を持つのだろうか。仕事柄、そんなことを考える機会が多いが、その時に必ず思い出す出来事がある。
30年以上前、働き盛りのご主人を亡くしたお家の葬儀をお世話させて頂いたことがある。残された奥さまと3人の男の子の悲しみは、私にも痛いほどに伝わってきた。下の子は未就学児、長男は小学校の高学年であったろうか。子どもたちが、ご出棺の時も火葬場に着いてからも、棺にすがって号泣し、どうしようもない状態だった。
1年後、そのお葬儀でお世話になったお坊さんと、別の所でお会いする機会があった。「あの時の葬儀で大泣きしていた男の子たちを覚えていますか? 今では経本なしでお経を唱えていますよ」と、そのお坊さんから聞かされた時には涙が出そうになった。お仏壇の前で経本を手に取りながら、 きちんきちんと七日七日のおつとめを続けた姿が目に浮かんでくるようだった。
お葬儀の後、お坊さんは、初七日から7日ごとの法要で、子どもたちの心に届くよう父親の死について語り掛け、一緒にお経を上げたそうだ。子どもたちは、その後も事あるごとに、亡き父が祭られたお仏壇の前で手を合わせてきたのだろう。死別の悲しみを乗り越えていく上で、法要というものが大きな働きを担ったのが分かる。
近年、グリーフケアという言葉を耳にする機会が増えた。グリーフ(Grief)は英語で「死別などによる深い悲しみ」「悲痛」を意味している。人は身近な人の死に遭遇すると、大きなショックを受け、深い悲しみに見舞われるが、多くの場合、自分一人で悲しみを癒やし、立ち直っていくのは困難だといわれる。
家族や地域社会の中での人との関わりが濃密だった時代は、その関係性の中で自然と悲しみが癒やされていったが、 現代社会では多くの人が心の傷を自分一人で抱えざるを得ない状況にある。このような状況とも相まって、葬儀の簡略化が進んでいることに、 私は危機感を覚える。
弔いの場は、 宗教者が悲しみに暮れる人に寄り添う場である。今こそ、宗教者が自らの言葉をもって、深い悲しみの中にある人々に手を差し伸べていくことが重要だと感じる。宗教者の言葉で、痛みを抱える残された方たちを救えることがたくさんある。宗教者としての真価は、このような時代だからこそ発揮されるべきだと痛切に思う。
「フラッシュナウ」金光新聞2019年9月15日号掲載