立教160年生神金光大神大祭をお迎えして 個々に神が生まれる
金光教報 「天地」10月号 巻頭言
教祖様は、「金光大神は形がのうなったら、来てくれと言う所へ行ってやる」とのお言葉を遺されました。その永世生きどおしの生神金光大神様の働きを受けて、立教160年生神金光大神大祭が9月29日、10月6日、10日の3回にわたり、本部広前で執り行われ、そのご比礼を頂いて、各教会のお広前でも同様に祭典が仕えられます。 このお道は、教祖様が天地金乃神様から立教神伝を拝受され、御取次に専念されたことに始まります。爾じ 来らい、教祖様が24年、金光四神様が10年、三代金光様が70年、四代金光様が28年、現教主金光様が28年と、御五代にわたる御取次の業(ぎょう)が続けられての160年であります。
生神金光大神大祭をお仕えする意義は、一つには、教祖様の年祭ということ、二つには、教祖様がご神命のままに仕えておられた「金光大神祭り」の意義を頂くということ、三つには、今を生きる私たちが、生神金光大神取次の働きを受け現していくことを願う祭典ということです。
現教主金光様は、「神は人のなかにあり、人は神のなかにあるのです。人は、誕生とともに神性(神心)を与えられております。人間は、自分の心の中にいる神様の存在に気がつかないといけないのです」とみ教えくださっています。私たちは、神様の懐の中で、神の氏子として命を頂き、わが身の中でお働きくださる神様と共に生きています。さらには、神の心も頂いているのです。
ある先師は、「一番よく神様が現れなさることができるのは人間であります。それで人間の所へ神様はよい具合に現れたいと思うておられるのでありましょうが、人間が迷いのために、欲に引っ掛かっておるから、どうも神様が現れなさることができない。神様は人間の中の方、奥の方で黙ってござる。ただここに一人、幼少から、なかなかしっかりとした生活をしてきている者がある。それが教祖様であります。その人を見込んで、神様が頼まれたのです。『どうであろう。助けてもらえまいか。ここで一つ現れたいと思うが…』と言われて、教祖様にご相談なされたものと思われるのです。教祖様のご理解、『生神とは、ここに神が生まれるということである』と仰せられてありますが、たけのこか何かが生えるように、人間の中から神が生まれ出る」と仰せであります。
ところで、神様は教祖様だけに「助けてくれ」とお頼みになられたのでしょうか。
そのことについて教祖様は、「金光大神のことを生神と言うが、金光大神ばかりではない。この広前に参っている人々がみな、神の子である。生神とは、ここに神が生まれるということで、金光大神がおかげの受けはじめである。みなもそのとおりにおかげが受けられる」と教えてくださっています。一農民であった教祖様が、神様のおかげを受けて、「神人の道」を世に現してくださったからこそ、万人に「信心して神になる」道が開かれたのです。
「わが心に神がござるからおかげになる」とも教えられています。私たちの中にお生まれくださり、私たちを救い助けてくださり、私たちをとおして、「人を助けたい」と願っておられる神様をお称えする。これが、教祖様が仕えておられた「金光大神祭り」の意味するところです。
神様が教祖様に願われ、教祖様が参ってくる人に願われたように、私どもも「われながら喜んで、わが心を祭り、信心して神になる」ことを願い、ここからのおかげを共々に頂いてまいりたいと存じます。