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水の尊さ知った18日間【金光新聞】

大津波に出遭って

 私は東日本大震災で、あの大津波に遭いました。震災の日以降、さまざまな出来事に直面した中で、今でも鮮明に覚えていることがあります。
 それは震災から18日後、それまで断たれていた水道が仮復旧したと聞き、蛇口をひねってみると、透明できれいな水が出てきた時のことです。その瞬間、私は思わず「ああ、これで助かった」と、つぶやきました。
 蛇口から水が出ることは、普段の生活ではごく当たり前のことです。でも、それが当たり前でなかった18日の間、想像をはるかに超える不快感、無力感、不自由さを味わいました。 津波にのみ込まれ、水道を断たれた街は、街中が異臭とヘドロに満ちていました。それらが至る所でまとわりつくのですが、汚れた手足や体を洗うことも、汚れた服や食器を洗うこともできませんでした。その苦痛は言葉に言い尽くせないものがありました。
 電気やガスの方が早く復旧しましたが、水がなければ炊飯器があってもお米を炊けません。水洗トイレに至っては見るも無残なありさまで、不衛生極まりない状態でした。汚れたままにしておくしかない状況が、この先いつまで続くのかと考えるだけで、生きる活力が失われていくようにさえ感じられました。

 そんな中、震災から1週間くらいたったころ、全国から給水車による支援が届けられるようになりました。それは命をつなぐありがたい支援活動でした。給水車の前には長い行列ができ、ポリタンクやバケツ、鍋など、水が入る物なら何でも手に持って、お年寄りから子どもまでもが水を求めて並びました。私たち家族も来る日も来る日も、一日に何回も並びました。けれども、一人で運べる量は限られていて、その水もすぐになくなります。
 生活するために、こんなにもたくさんの水が必要だということを初めて実感し、水くみという作業がこれほどまでに重労働であることも痛感しました。水道が整備されていない発展途上の国で、水くみのために学校に行けない子どもがいるということも、自分たちがその立場になってみて分かりました。

水を大切に使わせてもらう稽古

 人の生命を保つために、水は不可欠であることは言うまでもありませんが、水がなければ、生活ができなくなってしまうことを身をもって経験させられました。あの日、蛇口から水が出た時の「ああ、これで助かった」という安堵(あんど)と喜び、水は掛け替えのない尊いものだということを、決して忘れてはならないと、心の底から思いました。
 科学技術がどこまで発展しても、私たちだけでは水そのものを作ることはできません。計り知れない天地の働きと、人の労を経て初めて、水道から水を得ることができているのです。

 あれから月日がたつにつれ、ふと気が付くと当たり前のように水を使っている私ですが、復旧して最初の水をペットボトルに入れ、今でも目につく所に置いています。それを目にするたびに、当時のことを思い出し、蛇口をひねる時には「神様ありがとうございます」とお礼を申して、大切に使わせてもらう稽古をしています。
 そうして、日本国内や、世界中で起きている自然災害などのニュースを見るにつけ、水のない不自由さとそのつらさを思い出しては、一刻も早く復旧しますようにと神様に願うことに取り組ませてもらっています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(「心に届く信心真話」金光新聞2015年3月1日掲載)

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