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『金光教の時間』年頭放送「命のリレー」

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命のリレー

金光教教主 金光浩道

私は、金光教を信仰する家に生まれ、金光教教主を務めた祖父に当たる四代金光様と、父であります五代金光様の大きな祈りの中で、お育ていただきました。

祖父である四代金光様は、「お礼を土台に」や「世話になるすべてに礼を言う心」という言葉を大切にされ、そして常に実践しておられました。祖父のお部屋の前を通り掛かりますと、いつも「ありがとうございます」という声が聞こえてきました。障子のお部屋ですから、よく聞こえるわけです。私の中には、「常に信心の背中を見せてくださっていた」というイメージが残っております。これは信心継承において、大事なことではないかと思わせていただいております。

そして、父である五代金光様は、「前の金光様がしておられた通りのことを自分はする」とおっしゃって、跡を継がれ、御用くださいました。父のすごいところは、私を放っておくことなんです。父は私に、ああしなさい、こうしなさいとは決して言わなかったですね。私が東京に住んでいた頃は、毎月欠かさず、月の初めに、ご神米といって、神様にお供えして祈りを込めてくださったお米を送ってくださっていました。

当時の私は、都会のスピードに流されるような生活で、心の底に何かしっくりこない部分を抱えていました。1人で部屋にいるとき、将来のことを考えると、たまらなく不安になることもありました。そんな自分の心の中で、徐々に芽生えてきたのが、「祈り」ということです。それまでは深く考えたこともなかったのですが、祈られている自分があるということを、ひしひしと感じるようになってきたのです。

私が思うに、このお道の親様は、ご信心を基にした信念を、子どもが小さいうちから何年、何十年とかけて、植え付けてくださっていると思うんですね。例えば、私がご霊地である金光町を離れて東京に長くいても、このご霊地には確かなものがあるから大丈夫だ、という漠然とした感覚があった。これも、親様のおかげですね。本当にありがたいことです。「ご恩を知り、ご恩に報いる」ということが、信心において非常に大切なところだと思わせていただきます。親様の深い祈りがあって今日の私があるということです。

東京から親様の元へ戻りまして、結婚させていただき、3人の子どもを授かりましたが、子どもたちにとっても、いわゆる、じいじ、ばあばがそばにいてくださる家庭でお育ていただいたことのありがたさも、実感しています。五代金光様ご夫妻と一緒に生活させていただいたおかげで、時間通りに食事ができ、夕食後のご祈念、そして、入浴、就寝といった、規則正しいルーティンを頂いてきたこと、これはありがたいことだと思うんですね。さらには、大きな感性で包んでくださり、時には孫たちに懇切丁寧に教えてくださり、明らかに、じいじ、ばあばのおかげで子どもたちは心豊かに育ってきたと思えてなりません。

日々私は、世界の平和もまずは家庭の平和からと思わせていただいておりますが、家庭生活における信心実践というものの難しさも痛感しております。例えば、子どもたちが、けがをしたり体のどこかが痛いなど、何かしらあったときには、ご神米を頂くようにしております。何かあれば「まずご神米を頂いて」と言うと、「うん」と言って、素直にご神米を頂くんですね。これも「神様の存在」「ご神米」を信じてくれていることの証しといいますか、「これで良いようにおかげが頂ける」と、子どもたち自身が信じてくれているからこそであると思います。子どもたちも、けんかばかりしていますが、仲の良い3人きょうだいであり、日に日に大みかげを頂いていることは、間違いない事実だと思います。

また、自宅のご神前はお掃除の日が決まっていて、現在は母から受け継いで妻がさせていただいておりますが、家族の中で、「これはお母さんの御用」と決め付けるのではなく、「家族みんな誰もができる御用」として受け止めてもらいたいので、お掃除の日には、私も含め、できるだけ家族みんなでさせてもらうようにしています。子どもたちも「えー」などと言いながらも、時間になったらご神前に集まって手伝ってくれます。

そこで、ありがたいなあと思わせていただくのは、ご神前で、子どもたちが素直な質問をしてくるんですね。例えば、飾られている写真を拭かせていただきながら、「これは誰?」とか「四代金光様は、おじいさんの、お父さん?」とか「おじいさんの写真は、明信おじさんとくっつき過ぎじゃない?」など、自然と神様やご先祖様の話ができていることは、大変うれしく感じます。家族でご神前にいる時間がありがたいのです。

ご先祖様からここまで長い命のリレーを頂いていること、そして神様の御用に使っていただいていることで、どれだけ助かっているか、揺るぎないよりどころを頂いていることがどれだけありがたいことかと、いつも思わせていただくんですね。しかし、ありがたいで終わるのではなく、ここまでに受けたおかげ、神様、ご先祖様のご恩に報わせていただくにはどうすればよいか考えたとき、信心の道を迷わず失わず、末の末まで教え伝えさせていただきたいと、切に願うばかりであります。

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タグ: 文字, ラジオ放送, 教主,