【巻頭言】教祖様と感染症
新型コロナウイルスの感染拡大を経験して、たくさんの参拝者と共に生神金光大神大祭をお仕えさせていただけることをありがたく思います。各地のお広前でも同じ願いのもとに祭典が仕えられていきます。
さて、教祖様の生きておられた時代は、今のような医療技術はなく、ウイルスや細菌の知識すら知られていない時代ですから、感染症や伝染病に対してどのように対処されていたのでしょうか。疱瘡については、京都の祇園祭でも知られるように、平安の昔には病気の神様が引き起こすものと思われていました。近世になってから、いったん発病して回復したものは再度罹患しないことを経験上知ることができていたようです。
教祖様が6歳で疱瘡になったこと、9歳ではしかになったことを、母・しも様が教祖様にお伝えになっているのは、非常に賢明なことだと思います。「この病気には免疫があるから大丈夫」と伝えておく必要があったのでしょう。
教祖様はたくさんのご家族を病気で亡くされました。その中で、嘉永3(1850)年の5月、母屋の建設中に次男の槙右衛門が病死し、続いて三男の延治郎、四男の茂平が疱瘡にかかります。この時教祖様は、神主を呼んで呪術的な「しめおろし」、「しめあげ」もなさっていますが、同時に次男の葬儀を親類に任せて、ご自身が三男、四男の世話に当たっておられます。これは、今日の感染症の知識から言っても理にかなった行為です。多くの人が集まる葬儀の場と、疱瘡の罹患者を隔離し、そのお世話は免疫のあるご自身が当たられたのです。また、この時、他村にいた実母は教祖様の家には行かずに、後で孫のお墓参りをしておられます。これも、現代の地域を越えての移動制限と同じように理にかなっています。
教祖様の時代には、すでに科学的な知識を受け入れる素地が、庶民にも共有されていたと思われます。「科学」という言葉はまだありませんが、江戸時代の庶民も確かな自然観察による豊かな経験をもって、天地の理が分かって生活していたと言えるでしょう。そう思うと教祖様が実生活をとおして、むやみに神仏を恐れるばかりではなく、全てを神任せにするわけでもなく、神様に心を向けながら、人間の知恵と工夫と経験を駆使して、私たちと同じように必死で生き抜いておられるお姿が見えてきます。それゆえ、私たち現代人の感覚であっても、教祖様のご理解を素直に受け入れ、頂いていくことができるのではないかと思います。
教務総長 橋本美智雄