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【再掲】生神金光大神大祭のご案内

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祭典の願い

生神金光大神大祭は、教祖様のお徳をたたえ、教祖様が現してくださった永世生き通しの生神金光大神取次をあらためて頂き、私たちもその働きを現していくことを祈願する祭典です。

教祖様は川手家に養子に入り、家業である農業を実意丁寧に勤めて、一家の繁栄を常に願っておられました。また、幼い時から神仏に対する信心を心のよりどころとされていました。この当時、金神というたたり障りをする神様のことを人々は恐れ、日柄方位を見て避けるということが習慣としてありましたので、教祖様も養父と弟を亡くされた後に、とせ様の嫁入りに当たっては、日柄を選び良い方角を回りながら婚儀を行われました。

しかし、次々とご家族を亡くす中で、嘉永3(1850)年に普請をする時には、金神を避けるのではなく、神として立て仰ぐようになり、家の中に金神様をお祀りされるようになりました。それでも、不幸は続き二頭の飼い牛を亡くして七墓を築くことになり、とうとう安政2(1855)年42歳の時にはご自身が九死に一生という大患にかかるといった難儀に出合われました。その時に義弟(古川治郎)が神懸かりになり、これまで神様の思いを知らず日柄方角を気にしていたこと、人間の計らいには限りがあることを知らされ、心をあらためられました。そして、神様と人間が共に助かる道を歩み出されることとなりました。

安政4(1857)年に、実弟の香取繁右衛門さんに神懸かりがあり、二間四角の家を建てるように頼まれ、その通りにされました。この時のことは、後に「神の頼みはじめ」と記されています。繁右衛門さんはそこを広前にして肥灰お差し止めになりました。

翌年正月に教祖様が参拝され「拍手」を許され、「金乃神下葉の氏子」という名称を頂かれました。この頃から、ご自身が神様のおかげを現され、難儀を抱えた人が次々と教祖様の元に訪れるようになりました。次第に参拝の人数が増えてきたことから、安政6(1859)年10月、教祖様は「肥灰さしとめる」との神伝により「世間になんぼうも難儀な氏子あり、取次ぎ助けてやってくれ」との神様の願いを受けて、家業である農業を家族に任せ、ご自宅を広前として御取次に専念されることになりました。

こうして「神と人とあいよかけよで立ち行く」この道の信心が、初めて人の世に現されることになったのです。

教祖様は、参ってくる人のあらゆる願いを聞き受け、その願いを神様に届けて、神様のみ心をわが心に頂き、それを生活に現していくことの大切さを教えられました。その教えを受けた人々の中には、道を伝えていく人も生まれ、各地にお広前ができ、お道が展開していくこととなりました。

教祖様のご信心の深まりに伴い、神様は、明治元(1868)年9月に「生神金光大神」という御神号を授けられましたが、教祖様を取り巻く状況は厳しく、明治政府の宗教政策によって神前撤去を命じられるなど、大変な困難を強いられました。そのような中で、「天地書附」が定まり、生神金光大神取次によって、「一心に願え」「おかげは和賀心にあり」という信心のいよいよ大切なところが示されました。さらに、明治6(1873)年10月の御神伝によって、生神金光大神様は、難儀な世と人間の助かりのために神様から差し向けられたことが新たに示されたのです。

大きな社会の変革の中、教祖様は、神様から「信心辛抱せよ」「先を楽しめ」と教えられ、絶えず神様と共に生きる在り方を求めていかれました。そして、「天地金乃神の広前は世界中である」「世界の人を助けたい欲がある」と、救済の願いは世界へと広がっていきました。

こうして明治16(1883)年9月、「人民のため、大願の氏子助けるため、身代わりに神がさする、金光大神ひれいのため」とのお知らせを頂かれ、翌10月10日、御神命のままに自ら仕えられていた「金光大神祭り」の当日、現うつそみ身の御用を終えられました。そして、「体がなくなれば、願う所へ行って氏子を助けてやる」とのみ教えのとおり、永世生き通しの生神金光大神取次のお働きが現され、そのお働きは、歴代金光様の御神勤によって、厳然と今に現し続けられています。

生神金光大神大祭をお迎えするに当たり、「世界の平和と人類の助かりに向けてお役に立たせていただきたい」との教主金光様の思し召しをあらためて頂き、ここから一層、信心生活を進めさせていただきたいと存じます。

祭典次第

先 祭員着席
次 開  帳
次 拝  礼
次 神前拝詞奉唱
次 取次唱詞奉唱
次 祭主祭詞奏上
次 祭主玉串奉奠
次 天地書附奉体
次 参拝者総代玉串奉奠
次 教務総長挨拶
次 金光大神賛仰詞奉唱
次 「親神のよざしのままに」斉唱
次 拝  礼
次 祭員退下

期間中の諸行事

祭典前の教話(祭場)

9月29日は午前9時30分から 10月6、10日は午後1時から

9月29日
講師 金光 榮雄(福島・福島)
講題 「金光大神流の信心」

10月6日
講師 園田 真(愛媛・金子)
講題 「御取次のご恩に報いる」

10月10日
講師 八木 道正(京都・綾部)
講題 「私の神様 私の信心」

吉備舞の夕べ(修徳殿講堂)

9月28日 午後7時30分から
主催 典楽会

第25回教学講演会(本部総合庁舎1階ホール)

10月6日(日)10時00分~10時45分
講師 白石淳平(愛媛・南宇和)
主催 金光教教学研究所

金光駅時刻表

臨時列車等金光駅着発時刻表

臨時列車等金光駅着発時刻表

金光駅定期列車時刻表

金光駅定期列車時刻表

その他ご案内

参列教師の方へ

更衣室
男性 祭場南二
女性 祭場北二階

集合場所   
参列教師控室

集合時刻   
9月29日は午前9時40分   
10月6日・10日は午後1時10分

直会交付

交付場所
祭場北入口付近

交付時間   
9月29日(午前の祭典の時)    
 祭典終了後から正午まで   
10月6日・10日(午後の祭典の時)    
 祭典終了後から午後3時30分まで

受付・案内所

場所
境内大階段上

9月29日(午前の祭典の時)
 前日 午後1時30分から諸行事終了後まで
 当日 午前4時から午後1時まで
10月6日・10日(午後の祭典の時)
 前日 午後1時30分からお退け終了後まで
 当日 午前9時からお退け終了後まで

財務部(経理)出張所

場所
受付・案内所内

9月29日(午前の祭典の時)
 前日 午後1時30分からお退け終了後まで
 当日 午前7時から正午まで
10月6日・10日(午後の祭典の時)
 前日 午後3時からお退け終了後まで
 当日 午前9時から午後3時まで

本部在籍信奉者等の受付所

場所     
祭場北入口

9月29日(午前の祭典の時)     
 午前9時から午前11時30分まで     
10月6日・10日(午後の祭典の時)     
 午後0時30分から午後3時まで     

展示

場所
展示室(庁舎一階)

常設展   
資料とともにたどる金光大神のご生涯   
令和五年度物故布教功労者御遺影展   
特別陳列 教祖様に関わる所蔵資料

企画展   
五代金光様を偲び奉りて

開室時間   
9月29日(午前の祭典の時)   
 前日 午前10時から午後5時まで   
 当日 午前7時から午後5時まで   
10月6日・10日(午後の祭典の時)   
 前日 午前10時から午後5時まで   
 当日 午前9時から午後5時まで

金光図書館開館時間

9月29日(午前の祭典の時)   
 前日 午前10時から午後6時まで   
 当日 午前7時から午後6時まで   
10月6日・10日(午後の祭典の時)   
 前日 午前10時から午後6時まで   
 当日 午前9時から午後6時まで

金光教学院 創立百三十年記念 書華道展

場所
学院第一教室

9月29日(午前の祭典の時)   
 前日 午後2時から午後5時まで   
 当日 午前7時から午後2時まで   
10月6日・10日(午後の祭典の時)   
 前日(5日のみ)午後2時から午後5時まで   
 当日 午前9時から午後4時まで

金光教徒社営業時間

9月29日(午前の祭典の時)   
 前日 午前9時から午後4時30分まで   
 当日 午前5時から午後2時まで   
10月6日・10日(午後の祭典の時)   
 前日 午前9時から午後4時30分まで   
 当日 午前9時から午後4時30分まで

光風館営業時間

9月29日(午前の祭典の時)   
 前日 午前10時から午後6時まで   
 当日 午前9時から午後5時まで   
10月6日・10日(午後の祭典の時)   
 前日 午前10時から午後6時まで   
 当日 午前9時から午後5時まで

本部略図

金光教本部略図

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