皆様のお役に…祖母の生き方【金光新聞】
尊敬する祖母に変化
「おばあちゃんはいつ寝ているのだろう」
幼い頃、ふと、そう思ったことがあります。修行生が大勢いる金光教の教会でご用をしていた祖母は、いつも袖のゴムがキュッと締まったかっぽう着を着け、食事の用意など、台所のご用をしていました。私(57)は当時、いとこや叔母に遊んでもらえることがうれしくて、祖父母がご用する教会によく泊まりに行っていましたが、祖母の布団や寝姿を見たことがなく、不思議に思っていました。
ある日、夜中に目が覚めた私は、祖母が起床と同時に、静かに布団を押し入れに片付けている様子を見ました。皆が寝静まった頃に休み、誰よりも先に起きていたのだと分かり、幼いながらに祖母を尊敬したのを覚えています。
厳しくも、いつも人を気遣い、子どもであっても一人の人として尊重してくれていた祖母。そうした祖母の在り方の根幹には、「神様や教会、皆さんのお役に立ちたい」という思いがあったそうで、いつしか祖母の生き方は、私の目標となりました。
月日が流れ、私も大人になった頃、親戚皆で祖母を囲んで食事会をしたことがありました。ところが、食欲が落ちて、以前より痩せた祖母の様子に、心配になった母は病院での診察を勧めました。
病室でできるご用を
検査を受けると、内臓の至る所に、がんが広がっていて、入院することになりました。祖母は、だんだんと体が弱っていくにもかかわらず、「私にできるご用はありませんか」と言って、病室の机でできるご用を続け、教会の祭典日には、手を合わせてご祈念をしていました。
また、私が夫と子どもを連れてお見舞いに行くと、うれしそうに「病院の前にあるおすし屋さんで食べてからお帰り」と言うのです。子どもたちも喜んでお店に向かい、店の前から病室を見上げると、窓辺で私たちを見届けている祖母の姿が見えました。お見舞いに来た人全員に、「せっかく来てくれたのだから、おいしい物を食べて帰ってもらいたい」との思いで声を掛けていたそうで、祖母の深い優しさが伝わってきました。
祖母自身は、嘔吐とや腹痛、下血に吐血と、大変な病状でした。しかし、決して弱音を吐かず、家族や病院のスタッフに「お世話になります」「汚してすみません」と、感謝の気持ちを伝え、遠方の教会でご用に当たる息子たちには、電話で「しっかりご用させて頂きなさいよ」と活を入れて、祈り続けていたのです。
夢の中で見せた笑顔
そして、「退院して教会に戻った時、困らないように歩行訓練をする」と願って、手押し車や靴を用意してもらった頃には、祖母はもう歩けるような容体ではありませんでした。最期までお役に立つことを願い、自分のことよりも家族や周囲の人たちを気遣いながら、祖母は92歳で眠るように亡くなりました。
五十日祭を迎える頃、私は夢の中で祖母に会いました。夢では、立派な黒色のハイヤーが私の前で止まり、中からベージュ色のきれいな着物を着た祖母が降りてきました。そして、晴れやかな表情で私に「もうどこにでも行けるようになったんよ」とうれしそうに言い、同乗していた同年代の女性2人と一緒に、笑顔で出掛けていきました。
目が覚めた私は、祖母が病気の苦しみから解放され、会いたい人の所や、願う場所に、自由に行けるようになったのだと感じ、ありがたく思いました。私も祖母の生き方をお手本にして、これからを生きていきたいと願っています。
※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。