神様の支え得て「和賀心(わがこころ)」の介護【金光新聞】
義母に認知症の疑い
「もしかしたら義母(79)は認知症?」。そんな思いが頭によぎったのは、昨夏の終わりごろでした。
几帳面でしっかり者の義母が、いつも欠かさなかった家事をしなくなり、怠けているように見えることが多くなりました。そんな義母の言動がきっかけで、私(46)と夫は口論し、子どもたちも義母との関わりを面倒くさがるようになっていました。
しかし、次第に物忘れが増えた義母を見て心配になり、病院での診察を勧めましたが、義母は応じてくれません。夫の兄弟に相談しても、無関心な態度でした。私はどうしたらよいのか分からず、「介護」という言葉だけが、心に重くのしかかってきました。何より、「義母が一番つらいはず」と頭では理解できても、20年間の同居で積み重なった嫌な出来事が思い出され、心から支えたいという気持ちになれなかったのです。
普段お参りしている金光教の教会に参拝し、先生に「義母に優しくできません。無関心な兄弟も許せません」と胸の内を吐き出しました。先生は「それは苦しいね。教会では何でも話していいからね。だから、人に求めるのはやめなさいね。人じゃなく、神様に頼りなさい。神様はね、前になり後ろになって、あなたを導き支えてくださるよ。お義母さんの介護を引き受けることで、あなたに力を授けたいんだよ。後で必ず、『引き受けてよかった』と思えることになるからね」と、話してくださいました。私は「神様が授けたい力って何だろう」と思いながらも、その言葉を頼りに「やってみよう」という気持ちになれました。
家族そろってお世話
間もなく、義母の様子は以前にも増して心配なものになりました。義母も了承してくれ、病院で診てもらうと、「アルツハイマー型認知症」と診断されました。不安がいよいよ現実になったのです。その日の夜、私は介護士をしている先輩に義母のことを電話で伝えました。すると偶然にも、用事で私の家の近所にいた先輩は、すぐに駆け付けてくれ、認知症が進行する上で起きるであろうことや、行政の支援のことなど、丁寧に教えてくれました。それも、家族が皆そろって話を聞くことができ、私はこの状況を「神様が用意してくださった」と思えました。子どもたちも「神様って優しいね。おばあちゃんは病気なんだね。みんなで優しくサポートしていこうね」と言ってくれました。
ある日、介護のことで分からないことがあり、お世話になっている介護士さんに連絡したいと思っていると、スーパーでばったりと会い、話を聞くことができました。一緒にいた娘と「神様が応援してくれているね」と、ありがたい思いで帰宅すると、義母がお漏らしをしたのですが、「『トイレはどう?』って声を掛ければよかったね」という気持ちになれたのです。
神様に頼る力お育て
神様のお働きを感じられると、それまで「つらく苦しいもの」と思っていた介護のイメージが、だんだんと変わっていきました。ため息ばかりついていた義母からも「ありがとう」という言葉が増え、家族皆、穏やかな心で過ごせる時間が増えました。介護士さんから「介護は、親の最後の子育て」と教えてもらいました。義母を通して、「私たちは神様に頼っていく力を育てられているなあ。和らぎ賀(よろこ)ぶ心を育てられているなあ」と実感しています。
介護生活は、まだまだ始まったばかりですが、神様の、前になり後ろになってのお導きを頼りに、「和賀心(わがこころ)介護」でありたいと願っています。
※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。
「心に届く信心真話」2021年5月16日号掲載