神様の働き感じ暮らしを楽しく【金光新聞】
信心とは身近なもの
私(41)は10年前、59歳だった最愛の母をがんで亡くしました。悲しく毎日を過ごしていたその1年後に、今度は私自身にがんの疑いがあると診断されたのです。
「今私が死んだら、残された父はどうなるんだろう」と思うと、なんとか助かりたいと、何かにすがらずにはいられなくなり、祖父の代からお参りしている金光教の教会へ朝参りを始めました。すると、その後の検査で異常がないことが分かり、初めて神様のおかげを実感しました。
ちょうどその頃、教会では祭典時に演奏される琴の稽古が行われていました。偶然にも母の形見の中から琴で使う爪が見つかり、母が背中を押してくれているように感じた私は、稽古に参加するようになりました。
ある稽古の日、教会のご家族が交わす会話に驚きました。小学生の息子さんが、「学校で嫌なことがあったけど辛抱したら、帰りに友達のお母さんが車に乗せてくれた!神様がご褒美をくれたと思ったよ。すごくない?」と目をキラキラさせて話しているのです。
教会の先生はよく「暮らしの中にある神様のお働きに気付けたら楽しいよ。信心はね、〝あいうえお〟。ありがたくて、生き生きして、うれしくて、笑顔があって、面白いもの。神様のおかげに気付く人が世界中に増えたら、平和になると思うんだよね。だから私たちは、そんな家庭を目指しているんだよ」と話してくれました。
それまで、「信心は、日常と離れた特別なもの」と思っていた私は、生活の中で神様が働いてくださっているとは、思ってもみませんでした。私も先生のようになりたいと思い、毎日教会にお参りして、生活の中で神様を感じるアンテナを立てていきました。
おわびから道が開き
当時、私はスーパーの店長をしており、お店でハンバーグを100個売る催しが企画されました。ところが直前になって、私のミスで商品を発注していないことが分かり、私はパニックになりました。でも、こういう時こそ神様に心を向けようと思い直しました。以前の私なら、周りのフォローが足りないからだと人のせいにしていたと思いますが、「私の実意が足りなかった」と反省し、すぐさま業者におわびしました。すると、業者がいろいろな所からかき集めてくださり、商品が間に合ったのです。
遠い存在だった神様を職場でも感じられるようになると、日々の暮らしが楽しくなってきました。友人からは「言葉や態度が柔らかくなったね」と言われ、店の売り上げも伸び、母の死後、気持ちが離れていた家族の仲が良くなるなど、私の心が神様のありがたさを感じるにつれて、周囲も変わっていきました。
神様に無駄事はない
教会参拝を始めて4年がたち、私はこれまで以上に、神様と教会のお役に立ちたいと決意を新たにしました。そして、母が亡くなってからの歩みを振り返りました。母の死と私の病気から参拝が始まり、今、こんなにありがたい心にならせて頂いていること、神様のお役に立ちたいという思いが芽生えたこと。思えば、全てが神様のお働きであり、何一つ無駄なことはなかったと、母の死も受け入れられるようになってきました。感動と感謝が込み上げ、神様にお礼を申さずにはおれませんでした。
現在、私は結婚し、最愛の夫と育児に奮闘しながら、教会の先生のような家庭を目指しています。今度は私たち家族の存在が、誰かの心を癒やせられたらと願っています。
※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。
「心に届く信心真話」2021年4月25日号掲載