「教祖様のご縁につながって」
金光教報 7月号 巻頭言
神前拝詞の一節に「神縁まことに不思議にして今この道に出(い)で会うを得たり」とあります。
私の祖父はこの道にご神縁を蒙(こうむ)り、生神金光大神取次のお働きをもって天地金乃神様に出会わせて頂き、信心の道を歩むことになりました。もし、この道のご神縁を受けていなかったとするならば、祖父はどのような人生をたどっていたのだろうか、私へとつながるいのちはどうなっていただろうかと感じます。
神様から差し伸べられた御手(みて)に縋ることができた人生と、その御手に気付かずに過ごした人生とも思えてきます。神様の御手に縋り導かれ助けられたそのいのちは次のいのちへとつながり、私たちにも神様の御手が差し伸べられています。
そして、その御手を私たちが見失わないようにしっかりとつかみ、ご神縁を受け続けるためには、信心を生活の中でどのように現し、神様に心を向け続けていくのかという、信心の稽古の在り方が大切になってくるのではないかと思います。
四代金光様は「教祖様がお道をお開きくだされたそのご縁につながってのことであります。教祖様は、『神信心も手習いも同じこと』と教えてくださってありますが、私は手習いをする、けいこをするということをいろいろ経験させてもらって、自分がけいこをするのではない、けいこができるようにしてくださっていると常に思うようになりました。赤ん坊が教えてもらわなくても乳を吸うたり頂いたり、けいこをすれば立って歩くようになったり、そういう姿を長年みせて頂いて、自分のことは覚えていなくても、いのちのけいこをするという働きが与えられているということをしみじみ思うのであります。そういうことから、私は、信心するというのではない、教祖様が道をお開きになり、そのご縁につながって信心ができるのだと、そういうふうに思っております。けいこは、我流では手本に似ないという事実がございます。手本に似るというけいこは、自分の我流を張っては到底できないことであります」と、信心の稽古のご内容を教えてくださっています。
教祖様が、あらゆるものに神様のお恵みを感じ、お礼を申す生活を進められ、また、どのようなことがあっても神様の仰せどおりになさったように、そして、歴代金光様がその生き方をもって、現し続けておられるように、私たちもまず、教祖様の生きられ方に立ち返る稽古が大切だと思います。
御取次を頂く中に、天地金乃神様が差し伸べようとしてくださっている御手を感じ、教祖様がお示しくださった神様との関係をお手本に、確かな信心の道を歩ませていただきたいと切に願うところです。