メインコンテンツにスキップ

母が求め歩んだ真の道【金光新聞】

なんで教会を継いだの?

「やっぱり僕って後継ぎなのかな?お母さんは、なんで教会を継いだの?」。大学の夏休みで帰省していた息子から、唐突に尋ねられました。
 私(55)は思わず、「うれしいねえ、 その質問!」と返していました。私が満面の笑みで質問に食いついたので、息子は面食らった様子でしたが、良い機会だと思い、息子の正面に座り、私の若い頃のことを話してみようと思いました。

 あなたとちょうど同じ年頃にね、 職場の同僚と結婚を考えていたの。当然、教会から離れることになるんだけど、教会の後継を願っていたおじいちゃん、おばあちゃんは大反対でね。「どうしてもというなら、私たちの信心の師匠である親教会の先生にお許しをもらってきなさい」という話になったの。
 母さんは、戦場に向かうような気持ちで親教会に行って、「将来、父母のことは必ず私が面倒を見ます。先のことは決まっていませんが、教会のことは心配お掛けしません。結婚させてください」って直談判したの。
 するとね、 いつもは厳しい表情の親先生が、「親のことは、神様がちゃんと見てくださるから、何も心配せんでいい。教会のことも心配はいらん。しかし、自分の思い通りにするのは、あんたにとって真の道か、よう考えてみい。あっははは」と、最後は笑いながら言ってくれたの。
 真の道っていうのが理解できなかったけれど、親先生は許してくれたんだと思ったんだ。

真の道とは

 その後、おばあちゃんが体調を崩して母さんの職場だった病院に入院したんだけど、そこに上司が来て、「子の幸せを願わん親はいないでしょう。娘さんの結婚にどうして反対なんですか」と、おばあちゃんに言ってくれたの。
 すると、ベッドで横になっていたおばあちゃんが、突然ガバッて起きて姿勢を正したの。そして、「このお道を歩ませて頂いて、私が幸せだったから、娘も必ず幸せになります」と言ったの。母さんには、その言葉がとても神々しく聞こえた。
 おばあちゃんの人生は、本当に苦労の連続だった。この土地に教会布教したばかりで経済的にも厳しくて、母さんも何度ひもじさを我慢したことか。その上、おばあちゃんは病弱だったけれど、病院に行かず、神様のご用一筋だったわ。
 そんなおばあちゃんが言ったあの時の言葉と、凛(りん)とした姿を見て、私も同じ道を歩もうと思ったの。だから、母さんは今こうしてここにいるのよ。あなたもね。 「ふーん、そうなんだ」。息子の返事は、少し拍子抜けしたような感じでしたが、何か思うところがあるようでした。

 私は今でも、親先生がおっしゃった「真の道」、母が言った「幸せ」について考えることがあります。
 母は、生涯にわたってさまざまな難しい事柄と向き合って生きてきました。しかし、どんな時でも笑顔を絶やさず、誰よりも喜び上手でした。
 きっと母は、神様に喜んでもらえる生き方を求める中で、そのような生き方を選んだのでしょう。それが母にとっての真の道を歩むということだったのだと思います。私も母のような生き方ができるよう、日々神様に願っています。
 最近、息子が私の笑顔を見ると元気になると言ってくれました。母のあの笑顔に少しは近づけたのかなと思うと、幸せな気持ちになるのです。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。

「心に届く信心真話」2020年12月27日号掲載

投稿日: / 更新日:

タグ: 文字, 信心真話, 金光新聞,