今を喜び明日を楽しむ【金光新聞】
両親を失い幼いきょうだいのために…
冷えた空気をまとい、鳥たちのさえずりが心地よく聞こえてきた朝、米寿を迎えた母(88)が、「今日もありがたいなあ」とつぶやきました。いつも変わらぬ母の姿を見て、私(65)もまた、心の中でお礼を申し上げました。
母はよく、自分が歩んできた人生の話をしてくれます。金光教の教会で生まれ育ち、病弱でありながらも、負けず嫌いな性格だった母は、どんな苦手なことでも神様にお願いしながら挑戦してきたといいます。
12歳で女学校を受験した時のこと。金光教教師だった両親に「合格できるよう神様に祈っていてください」とお願いして、試験会場に向かいました。試験が始まる前にトイレに行くと、数人の受験生が「今日はこの問題が出ると思う」と相談し合っていました。母は、その箇所を必死に暗記して試験に臨んだところ、見事に的中し、難なく問題が解けたそうです。
苦手だった体力テストも、不思議と自信が湧き、緊張することなく、良い結果を出せました。母は、「両親が神様にお願いしてくれたおかげで合格できた」と感じたそうです。
母は3年間、心から喜んで女学校へ通学しました。そしてその翌年、無事に高等学校に編入できました。ところが、高校1年生の終わり頃、病気がちだった母親が亡くなり、その約1年後、父親までもが亡くなってしまったのです。両親を失った悲しみの中、母は幼いきょうだいのために大好きな高校を休学し、働くことを決意しました。
母は、工場に住み込みで働き、夜な夜な勉強を続けました。そんな母の姿を見ていた工場長の奥さまは、「あなたは今、ここにいてはいけない。卒業したら、また手伝いに来てね」と、家までの旅費と道案内の人を付けて送り出してくれたそうです。そのおかげで、経済的に厳しい中でしたが、なんとか高校を卒業することができました。
今を喜んで生きる
数年後、母は結婚し、私が生まれました。終戦から約10年後のことで、世の中はまだまだ大変な時期でした。経済的に困窮する中、母は娘に栄養のある母乳を飲ませたい一心で、比較的安く手に入るきゅうりを、さらに安く買うため、町中を歩き回ってくれたそうです。そのおかげで、私はいつもおなかいっぱいお乳を飲むことができ、すくすくと成長できました。
母は、どんな厳しい状況にあっても、「家族が元気に過ごせていることがありがたい」と、神様、金光様、みたま様にお礼を言う姿勢を忘れたことがありません。
そんな母は、私が大変な時期や落ち込んでいる時、いつも優しく励ましてくれます。そして、母は決まってこう言うのです。「昨日を忘れ、今日を喜び、明日を楽しめ。今生きていることを喜んで、明日を楽しもうね」。この言葉に、私はどれほど救われたでしょう。
ある教会の先生が、母と話をする中で、「波乱万丈な人生ですね」と言っていました。病弱と言われながらも元気に今日を迎えさせて頂いている母は、「とにかく生きているのがありがたい」と言います。
どんなことが起きてきても、嘆くことなく、今を喜んで生きている母の姿は、たくましくもありがたく、私の心に光をくれます。神様、金光様、みたま様に守られながら、今も私たちを守って
くれている母。そんな母の手足となって、母の人生をどこまでも支えていきたいと思います。
※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています