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「ほんとの青い空」福島に再び【金光新聞】

福島第1原発事故から10年

平成23年3月11日午後2時46分、東日本大震災が発生した。地震と津波という自然の災害、原発事故という文明の災害が、想像を絶する被害を引き起こした。以来、世界各地から温かい支援と励ましが寄せられる中、10年を迎え、福島の地でご用する金光教教師として問われ、思わされることを述べたい。


差し向けられたこの地でのご用
 地の底からゴオーと、恐ろしいうなり声のような地鳴り、まともに立っていられない大地の揺れ。最大震度7の大地震が起き、高さ15㍍を越える大津波は、東北から関東までの沿岸500㌔にわたって発生し、約2万人の犠牲者を生む。そして、東京電力福島第1原子力発電所が爆発して、空から雪と共に目には見えない放射能が降ってきた。
 当時、ある避難者は「原発から13㌔離れた所にいた私は、水素爆発の音を聞いた。それから避難所を6カ所転々とし、入居した仮設住宅は4畳半2部屋。立てば3歩で台所、トイレに行ける。人に会うなり、何かしていないと、精神がおかしくなる」と語った。10年の間に、元の場所へ戻った人、戻りたいが戻れない人。「もう、戻らない」と決め、避難先に自宅を建てて生活する人も多い。
 金光教東北第三教会連合会ではこの10年間、 一貫して 「震災・原発と信心」をテーマに青年セミナーを実施し、慰霊復興と原発事故の早期終息を祈願してきた。毎年、福島第1原発の周辺地域へ出向くため、海岸の防潮堤整備の進捗などの復興状況がよく分かる。参加した青年たちは、「衝撃的だった。福島市から2時間の場所が別世界になっている」「日々の生活への感謝を忘れ、不足を言う自分に改めて気付く」「浜に咲く小さな花を見て、天地のいのちは前に進んでいると感じた」と感想を述べていた。


 昨年6月、私は金光教教師を拝命して40年、福島教会の広前でご用を始めて40年を迎えた。教師補任の前日、本部広前で四代金光様に福島へご用に赴くについてお取次を願った。四代様は「自分の問題として『ご用させて頂くとは』を考えなければならない。ご用は本部でも、どこでもさせて頂けるのであって、どこでということはない」とおっしゃった。このお言葉に、天地の一隅で虚心坦懐にご用する大切さを教えられてきたが、震災を経験し、40年のご用を経て、「ご用させて頂くとは、自分がするのではなく、神様に使って頂くことである」と改めて思わされている。神様が私を他でもない福島の地にお差し向けになった、そのみ思いを感じるのだ。

人類の課題、一人一人の問題
 福島の安達太良山(あだたらやま)を眺めながら、高村光太郎の詩集『智恵子抄』の一節を思い出したことがある。「智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ。…阿多多羅山(安達太良山)の山の上に毎日出てゐる青い空が智恵子のほんとの空だといふ」
 原発事故により、福島の青い空が、海が、大地が放射能に汚染された。ある学者は「原発の事故は、天災であり人災であり、『文明災』でもある」と語った。金光教祖は「知恵が走り過ぎて、神の上を行く」と戒めたが、まさに神の上を行く行為が、ご神体である天地に多大な影響を与えて、難儀を拡散させたのである。
 数十年にわたる廃炉作業や放射性廃棄物の処理など、原発事故に関わる多くの問題は、福島の難儀である。それは同時に日本・世界の難儀であり、原子力の使用を含め、人類の課題である。それ故に、私たち一人一人が、どのように自分の問題として引き受けていくのか、その在り方が問われている。
 一人一人の生活の場で、天地自然とのつながりを求め、「ほんとの青い空」を取り戻し、人間として謙虚で実意な生き方を希求したい。私は、この福島の天地で祈り、お道のご用を通して求め続けたいと願っている

文/金光榮雄(福島教会長)
「フラッシュナウ」金光新聞2021年3月14日号掲載

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