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信心を心の支えにして【金光新聞】

お役に立つ人にならせて頂きますので

 私(64)の両親は金光教の教師をしており、幼い頃は父が金光教本部でご用をしていたので、家族皆で岡山県の金光町に住んでいました。
 私が5歳の時のこと。普段、元気に家中を走り回っている私の姿が見えないことから、父が寝室をのぞくと、私が真っ赤な顔でぐったりとしていたそうです。40度近い熱があり、往診に来た医師からは「危険です。今夜はずっと氷で冷やしてあげてください」と指示され、両親は必死に私の額を冷やし続けました。
 けれども、数日たっても、容体は一向に良くなりません。「このまま高熱が続くと脳を侵されます。今晩が山です」と医師から言われ、両親は大きな不安を抱きつつも、ただただ回復を祈るしかありませんでした。
 そのような中で、父はご本部のお広前でお結界のご用をしておられた金光様に、こんなお願いをしたそうです。
 「娘はお役に立つ人にならせて頂きますので、どうか助けてください」
 そのかいあって、私の体調はその日を境に次第に回復していきました。医師は、「奇跡です。これは医学の力ではない。ご両親の信心のおかげです」と、驚いたそうです。

 その後は大病することなく成人し、薬剤師になることができました。とはいえ、人よりも不器用だった私は、日々の仕事の中で、悩んだり、くじけそうになることもよくありました。そんな時は決まって母が「昨日を忘れ、今日を喜び、明日を楽しみなさいね」と励ましてくれ、おかげで1年間、仕事を続けることができました。
 ところが、2年目に入り、仕事にも慣れてきた頃、両親が「金光教学院(金光教の教師養成機関)に入って、お道の教師にならせてもらったら?」と言うのです。心の中で「いつかは私も」と思ってはいたのですが、やっと慣れてきた仕事です。すぐに返事ができませんでした。あれこれと思いを巡らせていると、私は病気をした幼い時のことを思い出しました。
 「ああ、 そうだった、 あの時の両親と金光様の祈りのおかげで今の私があるんだった。『お役に立つ人に』と願われての命だった。どんな仕事でも誰かの役に立てるんだろうけれど、これからはお道の教師としてお役に立たせて頂きたい」
 そう思えた時、私は神様に背中を押されたように感じ、両親に「学院に行かせて頂きます」と、返事をしていました。

父の原稿を見つけた

 そして最近、10年前に亡くなった父が、私の病気について、生前に述べている原稿を見つけました。
 「氷で冷やしながら、 苦しそうに呼吸する娘を見詰めていると、全身から『なんとしても助かってほしい』という強い祈りが湧いてきた。この子を助けずにはおれないという神様の願いを自分の願いにして祈らせて頂こうと思えた。私たちはつい自分の力で生きていると思ってしまうが、この天地には私たちを生かしてやまない願いと働きが満ちていた」
 原稿を読んだ後、両親が不安の中にも先を信じ、祈ることができていたのは、神様に出会い、信心という「心の支え」があってのことだったのだと理解できました。

 人は誰しも、問題に直面した時や不安を抱えた時、前に進むための「心の支え」が必要です。一人でも多くの人が、そのような「心の支え」に出合うことができるよう、今日も「神様、どうぞお役に立たせてください」と、願わずにはいられません。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

「心に届く信心真話」2020年1月26日号掲載

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タグ: 文字, 信心真話, 金光新聞,