神と人との新たな関わりへ【金光新聞】
信心の「始まり」への想像力/創造力
自然環境、国際情勢、経済成長。さまざまな場面で「危機」が語られるようになって久しい。新型コロナウイルスの感染拡大により、そうした終末論的な語りに拍車が掛かる今だからこそ、信心の語りは、世界の「開け」へ向けた「希望」の視点を問われているように思う。
未来に「希望」託して語る終末
「金光大神年譜帳(ねんぷちょう)」「金光大神暦注略年譜(れきちゅうりゃくねんぷ)」(『金光大神事蹟に関する研究資料』所収)は、既存の「お知らせ事覚帳」「金光大神御覚書」以上に、維新の騒乱や天災など、混迷する明治期の世相がうかがえ、一見、新約聖書の「ヨハネの黙示録」のような終末的なイメージもよぎる。
しかし、一般に破局的な意味で解される「黙示」とは、隠されていたものが明るみに出されること、すなわち神による「啓示」を意味したという。ヨハネは、ローマ帝国の圧政による眼前の「危機」に神話的な視点から光を当て、現実世界のあしき構造を未来の「希望」へ向けて暴き出すべく、あえて「世界の終わり」を描いたのだ(有住航/『福音と世界』第75巻10号)。
そうだとすると、昨年3月、フランスのメディア「lundimatin」に掲載された論説「ウイルスの独白」での、「わたしが葬り去るのはみなさまではありません。一個の文明を葬り去るのです」とのウイルスの視点に立った訴えもまた、現代社会の構造的危機が切迫しているからこそ、人類に未来を託す「希望」の語りと見ることができる。
その意味で、文明開化に浮き足立つ人間状況へ向けられた、「世が開(ひら)けるというけれども、開けるのではなし。めげるのぞ。そこで、金光が世界を助けに出たのぞ」(市村光五郎の伝え)との教祖理解は、今こそ「希望」の視点において想起されるべき語りではないか。
明治5年旧12月3日を明治6年新1月1日とした改暦は、「金神(こんじん)お廃し」、つまり日柄方位など暦注の廃止により、当時の人々が生きていく上での指針や基軸が失われる事態でもあった。その動揺は、同10年に至ってなお、教祖に「金神」について教えを請うた警官の姿にも浮かぶ(「年譜帳」)。重要なのは、先が見えない不安に包まれた激動の時代であったからこそ、神との新たな出会いが求められ、そして神もまた、人間との新たな関わりの「希望」を教祖に託したということだ。
時代への不安を「開け」として
社会が大きく変わり、世界への認識を支える構造そのものが揺るがされる事態、それは教祖自身にとっては、神との新たな関わりへ向けた「問い」の始まりを意味したであろう。揺らぐ社会の中で自身の来し方をたどり返す教祖の営みは、既成の神信心自体を、神との関わりの始源から再起動するべく要請されていたのではないか。
「パンデミック」という言葉は、「全ての人に関わる」という意味の「パンデーモス」に由来する。「二上八小八百八金神(にじょうはっしょうはっぴゃくや)のこらず金神」(「覚帳」表紙)という、世界の全方位に「神あり」とするような教祖の感性からは、眼前の現実をどう捉えるか、このお道ならではの、信心のまなざしが問われているように思う。
教祖が生きた時代を重ね見たくもなる現今の状況は、これまで鬱積(うっせき)していた何かが一気に噴出するかのように、差別や貧困など、人間社会の構造に関わるさまざまな問題を表面化させている。
そのような今、不確かさや不安を抱える人間に即して、この世界自体の「開け」として「信心」の確かさがもたらされるような視点においてこそ、語られるべき「希望」があるのではないか。
先の見えなさ、それは反転して、教祖における信心の「始まり」への想像力となり、新たな助かりの始まりへの創造力となっていくはずなのだから。
上部画像は教祖の自宅を復元した立教聖場内にある取次の座。教祖は終日この場に座って参拝者への取次に従事し、神との対話を重ねながら、信心のまなざしで時代と世の中を見詰め続けた。