受け継がれる教祖様の「心」
金光教報 2月号 巻頭言
ある寒い朝に参拝すると、四代金光様が、お結界からその日の気温をお尋ねになられた。今ならスマホですぐ調べるのだが、当時はそんな便利なものはない。
「お寒うございます」と申し上げると、金光様は「寒い、寒いと言うておると、寒いことを責めるようになるけえなあ」と仰せになり、「寒くても、おかげを頂いて、こうして『元気にお広前に参らせていただいた』いうて、お礼を申し上げるんじゃあ」と、お礼を土台にした確かな信心を説いてくださった。
寒い中を素足に下駄履きで広前へ歩いてこられた金光様の身を案じていたので、私が「寒い」と表現した語調には「心配」が潜んでいたのであろう。その心配へ向かう心を瞬時に捉えた金光様の指摘は、まことに的確で畏れ入った。
このお取次の後、「心配する心で信心をせよ」という教祖様のみ教えを頂き直した。すると、漫然と頂いていたこのみ教えの「心で」の文字に目がとまり、その「心」に込められた教祖様の願いを感じた。
教祖様は、明治以来の神道国教化政策の推進によって、神前の撤去を求められたが、これに対抗して「宗教」者の道へと転身するでもなく、挫折するでもなく、力づくの強制を回避して「休息」の姿勢で臨み、自らの信仰姿勢を確かめ、整えるべき時を過ごされた。
そうした中で、「一心に願 おかげは和賀心にあり」とする信心の要諦を明確にされ、信仰を慣習的形式から解放して、一人ひとりの内なる心の領域における実践へと導いていかれた。こうして自由な「心」の領域を確保して、神と信仰が世の干渉から影響されない「場」を構築したのだ。
この心の領域の開拓と信心実践こそが、本教信心において大きなウエイトを持つことは言うまでもない。「一心に願 おかげは和賀心にあり」とは、信心における心の在り方の基本であり、信心によるおかげを身をもって得心する信心の土台でもある。
そのような実践から教祖様は、天地の間に生きながら神のおかげを知らない氏子と共に、異なる世の価値の浸食にさらされながらも、ギリギリのところで身を立て直し、「神の助かり」を求め願われた。そしてそれは、吟味され、咀嚼(そしゃく)され、吸収された上で熟成されて、人から人へと静かに伝わることになる。こうして「取次集団」は生まれた。
金光大神の信心を取次によみがえらせ、その実態を有する教団であり続けるためには、四代金光様が常々お示しくださっていた、心を磨き広げる稽古と、お礼を土台にした「元気な心」が欠かせない。あれから30年、四代金光様が折に触れて教えてくださったお言葉の数々は今、私たちが「神人の道」を現す集団として、世に存在するためだったと思えてならない。