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「義母の祈りに守られて」【金光新聞】

義母の姿にみる信心

 私(85)は26歳の時、金光教の信心を代々している家に嫁ぎました。夫と義母、2人の義姉という一家でしたが、郊外の立派な屋敷で、両親はこの結婚をとても喜んでくれました。
 しかし、待っていたのは、家事一切を一人で切り盛りする毎日でした。広い屋敷と敷地の掃除や洗濯、義母の布団の上げ下ろしまで、休む暇もありません。何より大変だったのは、皆それぞれの事情に合わせて食事を用意することでした。
 義母は、神様をとても大切にしました。毎朝、畳の間の立派なご神前とご霊前のみすを巻き上げ、拭き掃除とお水替えをすると、畳にぬかずいて長いご祈念をするのが日課でした。また大祭や月例祭には、息子である夫を連れて必ず教会に参拝していました。いつもりんとしていて、上品な立ち居振る舞いでしたが、その分、何事にも厳格で、私は涙することも少なくありませんでした。

 結婚から11年後、義母は静かに息を引き取りました。大病を患うことも、苦しむこともなかった安らかな最期に、生涯、神様を大切にするという生き方を貫いた義母のご神徳を見た思いでした。
 それからは、夫が自宅のご神前でご祈念をし、祭典日ごとの教会参拝を続けました。しかし、24年前に夫が亡くなったことから、私が引き継ぐようになりました。「まずは形のまねから」と思い、毎朝、ご神前で拝礼したり、教会に参拝するようになりました。

義母はいつも祈ってくださっていた

 昨年10月のことです。「税務署です。あなたの還付金の受け取り手続きが、まだ終わっていません。手続きをするため、今から通帳の確認に参ります」と、丁寧な口調で、男性から電話がかかってきました。ほどなく玄関のチャイムが鳴ると、スーツ姿の若い男性が立っていました。そして私から通帳を受け取ると、言葉巧みに暗証番号を聞き出し、立ち去りました。
 その直後、われに返った私は慌てて銀行へ走りました。もう銀行は閉まっていましたが、裏口から入れてもらい調べてもらうと、お金が引き出された形跡はなく、預金は無事でした。その時のことを思うと、今も怖くて震えが止まりません。
 ほっとして自宅に帰ると、私の足は自然と畳の間に向かい、ご神前で神様にお礼を申し上げていました。そして、教会に電話をして神様にお礼申し上げました。そこで私は気が付きました。私が男性に伝えたのは、暗証番号ではなく電話番号だったのです。その瞬間、私の脳裏に、亡くなった義母の顔が浮かびました。相変わらずそそっかしく、危うく詐欺に遭うところだった私を、義母のみたま様が守ってくださったのだと思いました。厳しいしゅうとめだったとばかり思っていましたが、私の立ち行きをずっと祈ってくださっていたのだと、しみじみ思いました。

 義母からは叱られてばかりでしたが、私が用意した食事をいつも残さず食べてくださったことが忘れられません。おかげで私は料理が好きになりました。
 現在、私は自宅で書道教室を開いており、昼食を作って生徒の皆さんと一緒に頂きます。また教会の大祭や霊祭のたびに手料理をお供えし、直会(なおらい)で皆さんに召し上がって頂きます。おいしいと喜んで頂けることが、私の喜びです。義母のおかげで料理好きになった私がさせて頂けるご用だと、ありがたく思います。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

「心に届く信心真話」2019年5月26日号掲載

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タグ: 文字, 信心真話, 金光新聞,