天地金乃神大祭をお迎えして 助かりから生まれるもの
金光教報 「天地」5月号 巻頭言
本部では去る4月5日、天地金乃神大祭をお仕えさせていただきました。例年とは異なる形式の中にも、変わりなくご祭典をお仕えさせていただけたことに御礼を申したいと存じます。
各教会、信奉者の皆さまには、新型コロナウイルス感染拡大防止を最優先として、ご理解ご協力を賜りましたこと、この場を借りて御礼を申し上げます。各地で遥拝にてご参拝くださり、共々におかげを蒙らせていただきました。
世界では今なお、ウイルス感染が拡大しており、人々は不安な日々を過ごしています。ご祭典では、親神様への日々の御礼とともに、感染症により亡くなられた方々の御霊の道立てと、感染された方々の回復、感染拡大の速やかな終息を共々に願わせていただいたところであります。
いまだ予断を許さぬ状況ではありますが、本部広前では、変わらず生神金光大神取次の業が連綿と続けられており、教祖様の時代から、いつでも誰でも参拝できる場所として開かれていることは、何物にも代えがたい働きでしょう。
時代はさかのぼりますが、大正10年、全教の念願であった大教会所が落成しました。ところが、その4年後には全焼してしまいます。大きな衝撃と落胆の中、久留米教会初代・石橋松次郎師は、「形あるものは焼けることもあれば、壊れることもある。しかし、それを生み出したものは、私どもが頂いている信心である。信心さえ焼けねば、あれ以上のものでも、いくらでもまたおかげを頂いて建てることができる。私は今度こそ、この前にも増して、大きな御用をさせていただきたいと思い、張り切って(ご霊地に)上らせていただいている」と仰せられたとのことです。
未曽有の事態に直面してなお、命を燃やした先師のご信心に、胸が熱くなる思いがします。現在、本部広前会堂は、空調の不具合による設備更新のため、多額の費用がかかるという状況にありますが、そのような中で、思い出される先師のお話があります。
それは、師の娘さんが足の手術をされる時のことでした。多額の費用が必要で、とても賄いきれる額ではありません。時あたかも、本部広前祭場ご造営の折でもありました。師はどうすることが神様へのお礼になるのか悩み、高橋正雄師から次のようなみ教えを頂いたのです。
「このたびのご造営は、大きい建物を建てて金光教の宣伝をしようということでないのは言うまでもないでしょう。人が助かるためにお広前ができ、そしてこれからの氏子が助かっていくために、新しいお広前を建てさせてもらおうという、人が助かるというところに眼目がある。お道のご造営は、人の助かる働きの中に生まれた財をもって、自ずから成就していくものです。娘さんが今、足の手術をお受けなさる。それによって少しでも足がしっかりしてくる。これが助かるということではないんですか。あなた方家族のご造営は、娘さんの手術をしてあげることではないですか」
このお話は、お道にとって何が大切なのかをあらためて教えてくださっています。そして私は、元教務総長の佐藤光俊師が晩年、よく言われていた言葉が重なってくるのです。
「本教にとって本当に必要なのは、金光様のお取次と参拝者である。その二つさえあれば、いくらでもお道は展開していく」
先の見えない時だからこそ、お道の原点を忘れてはならないと、このたびのご祭典をとおして思わせられています。