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春季霊祭をお迎えして 亡くなっても生き続けるもの

金光教報 「天地」3月号 巻頭言

 3月をお迎えし、本部広前はじめ各地の教会では春季霊祭が仕えられます。この折、親しかった故人の面影を思い浮かべ、在りし日のみ姿をしのぶとともに、その方が生きておられるならば、今の社会、今の私をどのように見ておられるだろうかと、思いを巡らせることもあるでしょう。
 甘木教会の初代教会長・安武松太郎先生は、教祖様の 10 年祭にお参りになった感動を、こう表現しておられます。
 「どのような立派な政治家であっても、ひとかどの実業家であっても、葬儀には多くの人が集まるかもしれないが、教祖様は葬儀より1年祭、1年祭より3年祭、5年祭より 10 年祭と、次第に盛大になってきておられるが、普通そんなことはあり得ない」
 このお道のありがたいところは、人は亡くなってもなお、働き続けるということでしょう。そのことについて教祖様は、「木のもとへ肥をやれば、枝振りまで栄える。ご先祖や親を大切にすれば繁盛させてくださる」とみ教えくださっています。
その方をしのび慕う思いは、生き死にを超えて、今を生きる私のところに現れてくださり、後押しをしてくださるのです。
 本年1月10日は、本部広前の月例祭であり、初代図書館長でもあられた四代金光様がご帰幽になった日でもありました。この日、私は祭典後の教話の御用に当たっており、そのお話の中で、四代金光様の
 
生涯に二度となき今新しき
        いのちの今が刻々つづく


というお歌を紹介させていただきましたが、四代金光様への思いは、ご生前中はもとより、亡くなられてなお、より親しく共にあると感じています。
 今、世界に目を向けても、国内においても、お道の将来についても、金光図書館のことを思っても、問題は山積みです。「あの時、こうしておけばよかった」と過去を悔やむこともあります。これからのことを考えると、不安や心配に襲われることもあります。
 しかし、今という時間の使い方は私の心ひとつで変わります。過去を悔やんで過ごすのか、不安や心配で心をいっぱいにして過ごすのか。それならば、たとえ問題を抱えていたとしても、使えるいのちや使える時間があることを喜び、精いっぱいお役に立とうとする今にしたいと思うのです。
 図書館長を拝命してからの私は、四代金光様にお縋しながらの日々でした。難しい問題、困ったこと、失敗があるたび、四代金光様にお取次を頂き、お願い申し上げると、不思議と絡まった糸がほどけるように難問を乗り越えることができ、さらには、思ってもみなかった新しい世界が開けてくるのです。
 昨年 12 月、アフガニスタンで人道支援に当たっ ていた中村哲医師が銃弾に倒れました。くしくも、その数カ月前には、ご霊地で故人の講演会が開かれたばかりでした。中村医師と懇意にさせていただいていた私は、悲報にショックを受けましたが、その後、関係者の方とご縁を頂き、思いがけず「中村哲医師追悼展」を開催させていただく運びとなったのです。
 人は亡くなれば、そこで終わりではありません。亡くなってなお生き続けるものがあり、それは今を生きる私たちの在り方によって現れてくるのだと思います。それがこのお道のありがたいところだと、あらためて頂き直しています。

金光英子・金光図書館長

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