一方的だった私の願い【金光新聞】
祖母のためを思って
今から20年前のことです。私の実家は金光教の教会で、私は教会から車で2時間の所に、夫と3人の子どもと生活していました。
当時、教会長だった祖母は、膵臓(すいぞう)がんで1年ほど自宅療養をしていましたが、春ごろから状態が悪くなり、両親から帰ってくるようにと、再三連絡がありました。
私は、「祖母に子どもたちの元気な顔を見せたい。喜んでもらいたい」という思いはありましたが、子どもたちの学校のことや、夫の仕事の都合もあり、なかなか帰省できずにいました。
やっと都合がつき、家族そろって実家に帰れたのは、夏休みに入る終業式の日でした。
久しぶりに会った祖母は、黄疸(おうだん)がひどく、あまり長くはないように見えました。私は「最期まで私たち孫のことをいつもかわいがってくれた祖母のそばに居よう。夏休みにも入ったし、できるだけ長く滞在しよう」と思っていました。
ところが、祖母は、私たちが来たことを喜んでくれたのもつかの間、「いつ帰るん?お父さんからお小遣いもらって帰りよ」と言うのです。最期まで付き添いたいと思っていた私は、突き放されたような気持ちになりました。
翌日、夫は仕事のため、一足先に帰宅したのですが、祖母は「一人で帰らせて大丈夫なん?」と言うのです。私は祖母のことを思ってここに居るのに、なぜ私を帰らせようとするのだろうかと、祖母に対していら立ちさえ感じていました。
もやもやした気持ちのまま、祖母のそばに座っているうちに、かつて祖母と過ごした日々のことを思い浮かべていました。
思い違いに気づけて
祖母は、教会長でしたが、教会のご用はほとんど父がしていたので、私にとって祖母は、金光教の教師というより、優しいおばあちゃんでした。しかし、一度だけ、祖母がある信者さんの家で宅祭のご用をした時に立ち会い、普段とは違う祖母を目にしたことがあります。その時、ご祭事での立ち居振る舞い、ご祈念や教話の声に、教会長としての「強さ」と「温かさ」を感じました。その姿を思い出した時、私は思い違いをしていたことに気付きました。
祖母が私たち家族が早く帰るようにと気にしていたのは、私たちの生活を一番に考えてくれていたからです。そして、いつの間にか、「『私が』ひ孫たちを連れて帰ってきてあげた」「『私が』長く居たら祖母はうれしいだろう」と、一方的に思い込んでいたのでした。
あらためて、祖母や周りのみんなに喜んでもらえることを考えた末、「一度帰って、また会いに来よう」と、滞在期間を週末までの1週間と決めました。1週間あれば、介護疲れの見える母に少しは休んでもらえるし、夫が迎えに来るのにも週末がいいと思ったのです。祖母に帰る日を伝え、子どもたちには、なるべく祖母と触れ合えるように手を握らせたり、脱脂綿で口元を拭かせたり、子どもなりにできることをさせました。
帰省して4日目、祖母はひ孫たちに囲まれて、旅立っていきました。告別式が終わり、私たちが自宅に戻ったのは、帰省してからちょうど1週間後でした。
あれから20年。日々の生活の中で生まれてくる「願い」が、一方的なものにならないように、多くの人の喜びにつながるようにと、願いながら過ごしています。
※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています