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神様に手を合わせ続け【金光新聞】

「ありがたい」が口癖の祖母

 わが家は、祖父母の代から80年にわたり、奈良県で和菓子屋を営んできました。祖父母から娘の母へ、そして今は私がお店を引き継ぎました。
 末っ子の私は、信心熱心な祖母にかわいがられ、一番長く一緒に暮らしました。祖母のおかげで、私は物心ついた頃から、常に神様に手を合わせていました。
 そんな祖母の口癖は「ありがたい」。普通に生活できることが有り難いことだと、いつも手を合わせていた姿が今も目に焼き付いています。
 今から33年前、祖母を見送った際、母が詠んだ歌があります。
 「粗衣粗食粗住に感謝九十年。争いは一切しない母の主義。寝て起きて食べる暮らしを詫(わ)びる日々。何事も神に任せて手を合わせ」家では、この歌を額に入れて掲げています。そして家族一人一人が折々に祖母をしのびます。私たちの今の幸せがあるのは、このおかげだと思うと心が引き締まります。

 祖母は若い頃、奈良から大阪の教会まで歩いてお参りしていました。神様のみ前に真心を届けさせて頂きたい一心だったのでしょう。当時、汽車もありましたが、まだ暗いうちから家を出て、片道50キロ以上の道のりを歩き、新しいげた1足を履きつぶして、帰りは草履を履いて帰ったといいます。道中、外食もせず、持参したおにぎりを食べるだけだったそうです。
 私が知る限り、常においしい物は家族に、そして自分は粗末な物ばかりで食事を済ませていました。幼かった私が「そんなん、おいしいんけ?」と聞くと、「何でも、 神さんがお作り与えくださった物やから、ありがとうて、ありがとうて、しゃあないで」と笑顔で答えていました。祖母が最期まで食事をおいしく頂けたのは、もったいないことを一切しなかったおかげだと思います。

忘れられない祖母の言葉

 晩年、 医師から、もう立ち上がれないはずだと言われていたのに、教会の先代親先生がわが家にお見舞いに来てくださった日、寝間着の上に黒の紋付きの羽織を着て座ってお迎えができた日のことは今も忘れることはできません。
 「何にも難しいことはないで。神様に手を合わせることだけやで。手を合わせて、神様の前に近寄っていかんと、神様も助けようがない。忘れたらあかんで」と常々言っていた祖母。その言葉そのままの一生でした。
 今、私たちが穏やかに暮らせているのも、祖母が教えてくれた手を合わせる生活を身に付けているからです。
 昨年、91歳の母を見送った翌日、私に初期がんが見つかりました。担当医は母ががんになった時にお世話になった先生で、「こんな早期の発見はまれです。あなたは何かに守られていますね」と言われた時、祖母が残してくれた信心のおかげだと確信しました。

 先日、祖母が亡くなって33年と、母の逝去、私の病気全快の報告のため、息子たちと車で教会に参拝させて頂きました。高速道路を使って1時間半の車中、流れる景色を見ながら、「祖母はどんな気持ちで歩いていたのだろうか」と考えると、胸がいっぱいになりました。祖母の生きた時代から考えれば、信じられないほど豊かな時代を迎えましたが、祖母に比べて、自分自身は何か足りないと思う日々です。
 祖母が、神様と私とのご縁をつないでくれたように、 今は自分の家族に、手を合わせることの大切さを伝え続けています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。

(「心に届く信心真話」2018年9月16日号掲載)

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