お礼の稽古で土台作り【金光新聞】
基礎工事なしの建築
金光教教師の家庭に生まれた私(56)は、25歳の時、金光教教師になることを志し、金光教学院への入学を決意しました。その後、ある教会の後継者との結婚が決まり、学院卒業後に嫁ぐことになりました。
学院での生活は、早朝に本部広前でご祈念することに始まり、規則正しい毎日を送ります。戸惑いもありましたが、さまざまな年代の同期たちと励まし合い、修行に打ち込むことは楽しく、充実感がありました。けれども、慣れない集団生活に精神的な圧迫感もあり、その影響なのか、入学後しばらくすると、月経が止まってしまいました。
しばらくは、 「そのうち、元に戻るかな」と神様にお願いしながら様子を見ていたものの、一向にその気配はありません。病院で診てもらうと、医師から「ホルモンの数値がどれも低く、今の状態では排卵は望めない」と言われたのです。卒業後すぐ結婚が控えていることもあり、私は一気に不安に襲われました。
そこで本部広前でのご祈念はもちろんのこと、時間をつくっては教祖様の奥城(おくつき)にお参りし、ご祈念することにしたのですが、「将来子どもを授かれるのだろうか。結婚もどうなるのか…」と、憂鬱(ゆううつ)になるのです。
当時、ご神勤くださっていた四代金光様(金光鑑太郎〈かがみたろう〉様)にありのままの思いを聞いて頂きたいと思い立ち、本部広前に行きました。お結界に進んで、不安な思いをお届けすると、思わず涙がこぼれ落ちました。そして、体の調子が整って月経が戻るようにお願いしました。
金光様は私の願い事を聞き届けてくださった上で、「あなたはお願いはするが、その土台となるお礼ができていません。基礎工事なしの建築はすぐ無理がいき崩れてしまいます。教祖様がお道をお開きになり、そのご縁につながって自分がここにいるのであって、こうして学院で修行しているのも、ここにお参りできたのも、全て教祖様のご縁であることを忘れてはいけない。ありがとう、ありがとうと受けて、そしてお願いをして、初めて順序良くできるのです。頑張ると言って力んでも仕方がない。毎日、お礼を言う稽古をさせて頂きましょう」とご理解くださったのです。
お礼を言う稽古
四代金光様が大切にされていた「お礼を言う稽古」という言葉は、これまでもいろいろな人から聞き、知ってはいましたが、意を決してお取次を願った私に金光様が懇切丁寧にお話しくださったことで、まさに私のための教えとして深く心に響いたのです。
それ以来、日々の修行で気付いたことをメモする「信行ノート」を作って、お礼を言う稽古に励みました。あらためて文字で書くことで、自分の在り方を見詰め、自分がどうしたいのかという願いがはっきりしてくることもありました。教祖奥城でのご祈念も地べたに座り、教祖様へのお礼の心で手を合わせ、体の調子が整うように一生懸命お願いしました。
そのような取り組みを続ける中で、徐々に体調も整っていき、月経も戻りました。学院卒業後には、予定通り、無事に結婚することができ、今では5人の子どもに恵まれています。
子どもたちとご本部参拝するたびに、必ず一緒に教祖奥城に向かいます。そして、「教祖様のおかげで子どもたちと出
会えました。ありがとうございます」と、手を合わせてお礼のご祈念をさせてもらうのです。
※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。