「親ちゅうものはもったいないものじゃ」
金光教報 「天地」3月号 巻頭言
卒業式のシーズンです。この季節、娘の高校卒業時のことを思い出します。担任の先生の最後のあいさつは、こんな言葉から始まりました。
「愛しいものはいつも役立たず。例えばペットの犬、父の形見の壊れた時計…」「何の話?」と思って聞いていたら、「これから社会に出て行く皆さんは、いろんな役割が求められ、それが時に負担となり、力が発揮できずに苦しむことがあるかもしれません。でも、たとえ失敗しても、力が発揮できなくても、そんなことは人間の存在価値とは無関係です。この言葉は、愛しい限りで現実には力を持っていない、そんな存在によって人は支えられ、人生にうるおいを得ていることを教えてくれます。皆さんの人生が幸多きものでありますように」という内容でした。
進路指導に熱心な先生だったので、生徒のことをそのような優しい眼で見ておられたのかと驚き、また、そこに先生自身の亡き親への気持ちも重なっていたことが分かると、温かいものを感じました。親への愛しさは人それぞれながら、根っこのところでその人を大きく支えるものなのでしょう。
102歳で亡くなられた岡本睦範先生(河原町教会)は幼い頃、父である福嶋儀助先生に習字を教えてもらっていた時、庭先で母親がドント(とんど焼き)を始めたので、矢も楯もたまらず、父の手を振りほどいて庭へ駆け出してしまいました。ふと振り向くと、「ほほ笑みながら、残念そうに消えて行った」父の姿があったとされています。
先生は、「私は父の思い、親の切ない愛情を見捨てたような感じが、大人になってからも、幾度となく思い返され、相済まぬ事だったと、つくづく思うのであります」と語っておられます。
親になってみて分かる気持ちがあり、だからなおさら切なく響く。いっそのこと子どもに戻り、しがみついて謝りたくなるような、そんな父への愛しさでしょうか。いくつになっても忘れられず、むしろ年々深みを増す、ぬくもりある親子の情味を感じることができます。
教祖様にも亡き親に対するこんな話が残っています。大谷の川手の家に養子入りされた時のことで、直信の高橋富枝先生にこう言われました。
「親ちゅうものはもったいないものじゃ」教祖様は、子どもの時、麦が食べられませんでした。そんな教祖様に対して、養父の粂治郎さんが「麦を一俵持って行って、米に変えて来て食べさせてやろう」と言ったそうで、そのことを思い出して言われたのがこの言葉です。
「親は…」ではなく、「親ちゅうものは…」という表現からは、ご自身の歩みも重ねながら語っておられたことが分かります。
教祖様の親子関係は、資料からも垣間見ることができます。そこでは、粂治郎さんとの思い出を大切にされ、神社参りなど、自分にしてくれたそのままを、息子の浅吉さんにしておられるのが分かります。やがて自分は隠居され、浅吉さんにその後を継いでもらわねばなりません。その時、亡き父を思い浮かべながら動いておられたのでしょう。そのような親子関係を重ねてみると、教祖様と神様との歩みは、より味わい深いものを見る思いがします。
このように「親ちゅうものは…」と思いを巡らせていると、私の亡き父が「親に似ん子は鬼子やからな」と言っていたことが蘇りました。父は、祖父を見ながら、「おじいさんの何気ない動き一つにもなあ、言いがたい願いがこもっているんやで」とも。父の「鬼子」という言葉は、親の願いを間違いなく受け止める子でありたいと、自分に言い聞かせる言葉だったのです。