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義父の祈りを受け継ぐ【金光新聞】

六つに分けようよ

 街の至る所でクリスマスソングが流れる師走のある日、ご信者さんからクリスマスケーキがお供えになりました。
 さっそく私は、ご神前にお供えし、神様にお礼を申し上げ、その後、「仲良く分けて頂きなさいよ」と、子どもたちにケーキを手渡しました。小学6年生の長男は、「3人きょうだいで仲良く3等分にしよう」と言って、ケーキが均等に分けられるように、ナイフで目印を付けようとしていました。ところが、小学4年生の長女が、「お父さんとお母さんの2人も入れて、5等分にしようよ」と言い出しました。
 すると、妻が娘に「そんなに気を遣ってくれなくてもいいのよ。お父さんもお母さんも、これ以上太りたくないから」と言うので、家族みんなで大笑いしました。とはいえ、妻は長女が私たち両親のことを思いやってくれたことがうれしそうです。

 すると今度は、小学2年生の次男が、「六つに分けようよ」と言うのです。それは、2年前に亡くなった私の義父、つまり、次男にとってはおじいちゃんにもケーキをあげようということなのです。一瞬、みんなきょとんとしましたが、不思議とこの意見に異を唱える者はありませんでした。
 義父が亡くなって以来、食事の支度をするたびに、妻は自分が頂く分の食事を義父の霊前にお供えし、それを下げてから頂いていました。3人の子どもたちは、いつもその姿を見ていたので、納得できたのでしょう。

義父の祈り

 私の義父は、若いころに仕事を求めて地方から都会に出て、ブリキ職人となりました。仕事に励む傍ら、金光教と出合い、熱心に信心を進めたそうです。そして、結婚して3人の子どもに恵まれたのですが、妻子を相次いで亡くし、ついに一人きりになってしまいました。その後、金光教の教師となって、この教会でご用に当たり、再婚もしました。ところが、子宝に恵まれず、妻にも先立たれ、それ以来、8年間一人でごを務めてきました。
 私は28歳の時に、義父の養子となり、義父がご用する教会の後継者となりました。その2年後に結婚し、3人の子どもを授かりました。長年、爪に火をともすような質素な生活を送ってきた義父と、私の生活感覚とは合わず、義父の言うことに反発を覚えることもしばしばでした。しかし、人の助かりを祈るということについては、義父には全くかないませんでした。
「義父のように強い祈りを持てる教師にならせてもらわねば」と、思ったことが何度もあります。

 義父が生きていたころ、子どもたちが「わが家で一番好きな人は誰か」ということについて話をしていたことがあります。その時真っ先に、次男が「おじいちゃん!」と言いました。
「おじいちゃんは、毎日ぼくのことを祈ってくれるから」というのが、その理由でした。
 わが家では、学校や幼稚園の行き帰りに、子どもたちが必ず義父の部屋に行き、あいさつすることが習慣でした。子どもたちがあいさつすると、義父は必ず握手をし、子どもたちに向って手を合わせ、柏手(かしわで)を打って祈ってくれました。その姿が、幼い次男の心に深く刻み込まれていたのでしょう。
 子どもたちが日々成長していく姿を眺めながら、「義父のように人のことを祈れる人間になってもらいたい」と、私は日々、祈りを込めさせて頂いています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(「心に届く信心真話」2017年12月24日号掲載)

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タグ: 文字, 信心真話, 金光新聞,