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お役に立つ体をつくる【金光新聞】

輸血で生かされた父

 私(63)が初めて献血をしたのは、 大学1年生の秋でした。
 当時、友人の父親が緊急手術を行うことになり、輸血が必要になったためでした。以来友人に誘われて何度か献血をしたことがありましたが、自分から積極的にしたことはありませんでした。
 そんな私が進んで献血に協力するようになったのは、父の病気治療がきっかけでした。私が36歳の時、父は肝硬変を患いました。その後、1年近く入院した後亡くなりましたが、亡くなる数カ月前は、吐血と下血を繰り返し、血圧が低下して何度も命の危機を迎えました。しかし、その都度輸血をしてもらい命をつないで頂きました。
 父が亡くなるまでに、どれほどの量の輸血をしてもらったのか、正確には分かりませんが、私は献血をしてくださった方々に、お礼を言いたい気持ちでいっぱいでした。
 それ以来、私は年に2度、職場に献血車が来るたびに率先して献血を申し出るようになり、20年間続けてきました。

 ところが、5年前のある日、献血前に行う血液検査で、ヘモグロビン濃度が足りないという結果が出るようになり、献血ができなくなってしまいました。私は、それまで大きな病気をしたこともなく、健康だけが取りえだと思い込んでいたので、とてもショックを受けました。
 「半年前までは献血できたのにどうしてですか?」と、看護師さんに聞くと「鉄分が足りないので、鉄分のある物を取ってください」と言われました。どうやら原因は食生活にあったようです。40歳から単身赴任だった私の普段の食事は、仕事などで時間に追われておろそかになっていて、バランスの取れた食事を頂けるのは、週末に実家に帰った時ぐらいでした。

どうぞ献血ができますように

 それでも若かったころは体に異常はなく、血液検査の数値も正常でしたから、何とも思っていませんでした。しかし、だんだんと年齢を重ねるうちに無理が利かなくなっていたのでしょう。その後も献血車が来るたびに検査しましたが、数値が悪く献血をすることはかないませんでした。歳となった私は定年を迎え、実家に戻り家族と共に生活することになりました。
 1年半後、市役所に献血車が来ると聞いた私は久しぶりに献血に行ってみることにしました。
 血液検査の順番を待つ間は、「どうぞ、献血ができますように」と神様にお願いしながら待ちました。検査の結果、ヘモグロビンの数値は正常に戻っており、数年ぶりに献血することができたのです。検査が通った時は思わず、「金光様、ありがとうございます」と、心の中でお礼を言っていました。
 採血している最中には、実家に戻って1年半、妻が毎日作ってくれる3度の食事のおかげで、元のように献血ができる体に戻ったことへの感謝の思いが、心の底から湧いてきました。

 これまでは、時々妻に対し、好みの味付けをつい言ってしまうことがありましたが、この日以来、食卓に向かい「どうぞ、この食事で、お役に立つ体をつくらせてください」とお願いをし、妻に「ありがとうございます。頂きます」と心から言えるようになりました。
 献血ができなくなったことで、毎日健康で過ごせること、そして毎日食事が頂けること、それまで当たり前に思っていたことが、決して当たり前のことではないのだと気付くことができました。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(「心に届く信心真話」2017年5月7日号掲載)

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