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親の背を見て子は育つ【金光新聞】

わが心の鬼がでる

 家ではどこでも、プープーおならをしてしまう私 (45)。いつしか中学3年生の長男が私みたいにおならをするようになり、中学1年生の長女からは「親の背を見て子は育つ。親が変な背中を見せるから!」と、叱られます。しかし、娘に言われる前から、私には「親の背中」ということが大きな課題でした。
 数年前の春のこと。末っ子の次男(当時小学3年生)と一緒にお風呂に入ろうとした時、いつものように裸になって浴室に入ると、お湯が全く入っていませんでした。
 そのころ、次男には家のお手伝いをするという学校の宿題が出され、次男がお風呂の用意をすることになっていたのですが、次男はそのことを忘れていたのです。
 私は、妻が次男のことを見てくれていて、すでにお風呂の準備ができているものと思い込んでいたので、反射的に 「お湯が入っていないじゃないか! どうなってるんだ!」と、妻を責めていました。すると、横にいた次男の顔が曇りだし、気まずそうに浴室から出ていってしまいました。

 意固地な性格の私は、 裸のままお湯の入っていない湯船に座り、 風呂の栓を閉め、 蛇口からお湯を出しました。
 家の中とはいえ、早春です。裸では寒く、一刻も早く温まりたい一心で「金光様、 金光様」 と唱え始めました。少しずつお湯がたまっていく中で、その祈りはやがて、わが心の鬼を退治してくれる祈りとなり、自分自身の改まりや人の身を思う神心がだんだん現れてきたのです。
 「入る前に確かめなかったおまえが悪い! 妻を一方的に責めるなんて。妻も忙しいのに」という声が心の中に響きます。すると、わが心が「つい、かっとなってしまってすみません!」と素直に謝り、「いつもお世話になっています」と、妻への感謝の心も出てきました。

反省の心と感謝の心

 温かいお湯がたまるのと同時に、私の心は妻へのおわびと感謝の心でいっぱいになり、わが心も温かくなっていきました。反省の心と感謝の心という、神様から頂いた神心が、私の中に現れたのです。
 私は次男を呼び、一緒にお風呂に入りました。次男は自分が宿題を忘れたことでお母さんが責められてしまい、落ち込んでいました。「変な親の背中を見せるから!」と、娘に叱られても仕方ありません。私は次男に、「お母さんを責めて、嫌な思いをさせてごめん」と素直に謝ると、次男もお風呂の用意を忘れたことを謝ってくれました。
 お風呂から上がり、早速妻に謝りにいくと、「親としての背中、洗ってくださいね。子どもが見てますよ」と、優しくも厳しい言葉が返ってきました。子どもたちは、決して立派とはいえない私の背中を見ているのです。

 それから数カ月後のある日、次男とお風呂に入った時のこと。私が洗い場で体を洗っていると、お湯に漬かっている次男が突然手を合わせて、「金光様、お願いします」と、つぶやきました。何をお願いしたのか尋ねると、「救急車のサイレンが聞こえたから、お父さんがいつもしているように患者さんのことお願いしたんだよ」と言います。そんな私の背中も子どもは見てくれていたのです。
 私の父が常に人の助かりを祈っていたように、私もそうありたいと常々思ってきました。同じ過ちは繰り返さず、いつでも親としての立派な背中を子どもたちに見せていきたいと、強く願うようになりました。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(「心に届く信心真話」2017年4月2日号掲載)

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タグ: 文字, 信心真話, 金光新聞,