私を支える祖父の存在【金光新聞】
人は死んだらどうなるの?
私(春子/52)が中学生の時のことです。何げなくテレビのスイッチを入れると、ある女優さんが話しているのが聞こえてきました。
「命あるものは皆、死んだ後、生まれ変わることができるでしょ」
金光教の信奉者家庭に生まれ育った私は、死んでもまた生まれ変わって、この世に生まれてくるという話に衝撃を受けました。
そこで私は、そのことを祖父に尋ねました。
「おじいちゃん、 命あるものは、死んだ後、生まれ変わって、また生まれてこられるんやって。それやったら、私、死んでもまた、何かになって生まれてきたいなあ。
でも、金光教では、みたま様になってしまうから、生まれ変わってもう1回生きることはできへんのやろ?」
すると、祖父はしばらく考えて、こう言いました。
「どうなんやろうなあ。確かに教祖様は、死んだら神になることを楽しみに信心せよ、とおっしゃってるがなあ。それが生まれ変わりなのかどうかは分からんがなあ。実をいうと、おじいちゃんもまだ死んだことがないから、死んだ後のことは知らんのや。そや!おじいちゃんが死んだら、春子の所へ行って教えてやるわな」
いつも通りの穏やかな笑顔でしたが、 私は祖父のことが大好きだったので、 その祖父が死ぬなんて嫌だし、想像もつかないことでした。なんだか怖くなった私は、それっきりこの話は自分の中に封印し、誰にも話しませんでした。
そして、祖父とそんな会話をしたことすら、いつの間にかすっかり忘れてしまいました。
でも、それから20年後、とうとう祖父との別れの日がやってきました。
約束を守ってくれた祖父
私の喪失感はとても大きく、告別式を終えて、出棺の時を迎え、教会から祖父のひつぎが出ていく時は、悲しみで立っていられないほどでした。今にも倒れそうな私を見かねてか、誰かが私の肩を後ろから支えてくれました。その手はとても温かく、感触を今でもはっきり覚えています。
そして、祖父を乗せた車を見送った後、その温かい手の主にお礼を言おうと後ろを振り返った時、私は思わず息をのみました。私の背後はブロック塀で、人が入れるような隙間はまったく無かったのです。
その瞬間、「あの手の主は、おじいちゃんだ!」と、私にはすぐに分かりました。そして、封印していたあの時のやりとりが心によみがえりました。
あの日、祖父は、人は死んだ後どうなるか、その時が訪れてみないと分からないけれども、自分が死んだら、春子の所へ行って教えてやると約束してくれました。「今までと何も変わらへんのやで。おじいちゃんはいつでもこうやっておまえのことを支えてやれるんやで」。祖父はあの時の約束を守り、私にそう伝えに来てくれたに違いありません。
祖父の死から十数年がたちました。私は、日々変わらず祖父のみたま様に祈り、語り掛けています。亡き祖父が、今も変わらず見守り支えてくれていると確信しているからです。
「死んだらどうなるの?」と質問していたあのころの私に、祖父が生涯かけて大切にしてきた、このお道の信心の中で生きて死んでいくことのありがたさと尊さを、今の私は自信をもって伝えることができる気がします。
※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています