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亡き師匠が一緒にご用【金光新聞】

手紙に込められた師の願い

 私(62)は昭和54年、師匠から頂いた「先祖の助かりと同時に、氏子の助かりと幸福をご神願としていきなさい」「『死んだと思うて欲を放して』と、教祖様はご神命を頂いたが、死んだ気持ちでなく、死んでいくのだ」というお言葉をご神命と頂き、九州のある離島へ布教に出ました。
 布教を開始したばかりのころ、参拝する人もなく、もんもんとしていた私のもとに届いた師匠からの手紙は、生涯かけて私が取り組むべき課題が書かれていました。
 「私が55年前、25歳で布教した時と神様は変わっておられるか、試してみる必要がある。人間の本体の親である天地金乃神様に任せて、死んでもよいではないか。死んだからと言うても、神様のおかげを頂けば天地は永遠である。神様にささげたわが身である。修行されていますか。修行しなくては人は助かりません。自ら求めての修行でなければなりません。私が布教した気持ちで日々ご用に取り組んでいます」
 手紙からは、遠く離れた所でご用する師匠の祈りをひしひしと感じ、心新たにご用に当たらせて頂くようになりました。

 昭和62年、教会設立の認可を頂き、開教式を執り行うことになりました。高齢となった師匠は病気で衰弱し、医者や家族から長旅を反対されながらも、無理を押して車いすで参拝してくださいました。そして、その翌年、師匠は82歳で亡くなりました。
 昨年の秋のことです。本部広前の生神金光大神大祭で祭典前の教話のご用を頂きました。私は、布教当初の話や師匠から頂いた手紙の話をさせて頂きました。数千人の参拝者の前で話すことは、とても緊張しましたが、何とか無事にご用することができました。

師匠のみたま様がそばに

 ご本部から帰宅した翌日、 ある女性から電話を頂きました。その方とは、面識はありませんでしたが、「このような話をしてよいか分かりませんが」と切り出し、続けて「先生のお話を聞かせて頂いていると、黒い装束と白い装束が二重に見えるので、何度も眼鏡を掛けたり外したりしながらよく見ると白い装束を着た人が先生の横にしっかりと立っていたんです」と言うのです。
 その話を聞いて、鳥肌が立ち、「師匠だ!」と感じました。本部のご用に出掛ける準備をしていた時、妻が「本部のご用だから」と新しい白帯を用意してくれたのですが、なぜか私は、師匠が生前に使っていた白帯を探し出して持っていったのです。
 教話の間、私は師匠の気配を感じることはありませんでした。緊張で話をさせて頂くのがやっとでした。しかし、なぜかは分かりませんが、不思議と安心できる、心地よい緊張感でした。それもこれも皆、師匠のみたま様が一緒にご用してくださったからなのだと確信しました。

 師匠のご用は、 ご息女が受け継ぎ、引き続き祈ってくださっています。そのことを強く感じたのは6年前、その方が突然、脳出血で倒れられた時のことでした。病院へ搬送される中、意識がもうろうとしながらも、私のご用する教会のことを心配されていたと、後になってご家族から聞きました。代を重ねていく中で、私たちに掛けられた祈りの強さを感じ、胸がいっぱいになりました。
 祈りは、肉体はなくなりみたま様となっても生き続け、それが取次の働きを通して、今も私のところに届けられていることを実感します。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(「心に届く信心真話」金光新聞2016年11月6日号掲載)

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タグ: 文字, 信心真話, 金光新聞,