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けなげな信心に導かれ【金光新聞】

願い通りにならない体験をした私たちの絆

 私(48)が真道君に初めて会ったのは、今から6年前、現在ご用する教会に私が嫁いで間もないころのことでした。
 当時小学1年生だった真道君は、私の膝にちょこんと座り、その人懐こく、あどけない様子からは実際の年齢よりも幼く見えました。おばあちゃんによると、3歳の時、お母さんが突然いなくなり、お父さんとおばあちゃんの3人暮らしとなって、お母さんを恋しがる日々を過ごしてきたとのことでした。
 真道君は、教会では笑って楽しく遊ぶのですが、普段は情緒不安定のため保育園の時から特別に先生から目をかけてもらっていました。教会でも時折、自分の髪の毛を抜いたり、服を切り裂くといった行為を見せました。そんな時には、お広前で真道君を抱き締め、「神様が助けてくださるからね」と言い聞かせながら、祈りました。

 ちょうどそのころ、私は43歳にして妊娠しましたが、流産してしまいました。それからの数年、真道君が毎年新しい学年を迎える時期に流産を繰り返しました。そのたびに、身を引き裂かれるような思いをしながらも、真道君の命が今こうして存在することは、決して当たり前のことではないと実感し、何としても真道君の心が助かるようにと願うようになりました。大切な物を失う恐怖や、願い通りにならない体験をした私たちの絆は、教会で一緒に時間を過ごす中で深まっていきました。
 とはいえ、事情を知らない人の中には、母親にするように私に甘える真道君の態度を、いぶかる人もあり、十分に構ってあげられないこともありました。でも、2人だけの時にはできるだけ甘えさせてあげ、気が済むまで話を聞かせてもらうようにしました。そして、「今はつらくて思い通りにならなくても、絶対に先で楽しいことがあるからね」と語り掛け、その言葉が2人の合い言葉になっていきました。

多くの人たちに愛される真道君

 真道君が小学6年生になる際、私は1年間に予定されている全ての学校行事に参加させてもらおうという願いを立てました。学習発表会、公開授業、体育祭、最後が卒業式でしたが、いつも決まって真道君の保護者席は大所帯でした。おばあちゃん、お父さん、叔母にいとこ、保育園の園長先生、そして私。こんなに大勢なのは真道君だけでした。
 真道君が多くの人たちに愛されるのは、自分にとって都合の悪いことが起きても人を責めず、「ええねん、 ええねん」 と笑い流せる性格にあると思います。しかしそれは、決して持って生まれた性分からだけではないと思うのです。
 真道君は、物心ついた時から願いがかなわない経験をする中で、それでも、「きっと先には神様が楽しいことを用意してくださる」と信じて、泣くのを我慢し、今あることに喜びを見いだそうとしてきました。そのことで、気が付けば何でも喜べるようになり、周りの人をも喜ばせる性格を育てたのだと思うのです。

 2人で卒業式を映した動画を見ながら、「よくここまで頑張ったね、おめでとう」と言う私に、「神様を信じられたからだよね、ありがとう」と、真道君がうれしい言葉を返してくれました。
 その言葉に、私自身が、真道君のけなげな信心に導かれてここまでこられたのだと気付かされたのでした。これからも、真道君が神様とつながっていくよう、願い続けたいと思います。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(「心に届く信心真話」金光新聞2015年8月2日号掲載)

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タグ: 文字, 信心真話, 金光新聞,