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神に任せて時節を待つ【金光新聞】

不安で心が覆われ

 今から10年ほど前の7月、当時高校3年生だった私の息子が、その前年の年末にバイクで集団暴走を行ったとして警察から呼び出されました。
 高校生活最後となる3年生の春を迎えて、息子は心を入れ替えたように見えました。また、秋の体育祭のブロック長にも選ばれ、頑張っていた矢先のことでした。
 ショックを受けた私は、すぐに参拝している教会に電話でお届けをしました。先生は黙って話を聞いてくださり、「母親として心配なのは分かりますが、まずは今日までお育て頂いてきたことにお礼を申して、これからのことをお願いしていきましょう」と言われました。
 先生は、日頃からお礼を土台とした信心を教えてくださっていたので、その大切さは分かっているつもりでしたが、この時はとてもお礼を言う気持ちにはなれず、「小さいころは素直でいい子だったのに、どうして…」という悔しさで心がいっぱいになっていました。

 それでも、時間の経過とともに気持ちも落ち着いて、今日まで成長する中でたくさんのおかげを頂いてきたこと、暴走行為をしながらも、事故に遭わずに済んだことなど、少しずつ神様にお礼を申し上げようという思いになってきました。
 しかし、裁判が行われ、留置場に10日間拘留されることが決まった途端、お礼の心はどこかに行き、将来に対する不安で心が覆われてしまいました。
 私は居ても立ってもいられず、教会にお参りして胸の内を打ち明けると、先生は、「教祖様は『何やかや心配して、かれこれ思っているであろう。神に任せて、足り不足を言うな。安心して時節を待っておれ』とおっしゃっています。心配は神様に預けて、これからのことをお願いしていけば、先々きっと神様は道を付けてくださるから」と言われたのです。
 振り返ってみると、事件が発覚して以来、私は息子を責めるような思いばかり持っていました。しかし、私が長年、保育園に勤めて忙しかったことで、息子に寂しい思いをさせてきたのかもしれないと思え、息子に対して申し訳ない気持ちが湧いてきました。

お取次をいただいて稽古する中で

 それからというもの、神様におわびとお礼を言う稽古をさせて頂き、今後はどのようなことになっても、神様は必ず本人に合った道を付けてくださるという思いを持って、神様に願えるようになりました。
 後日、留置場から出てきた息子と一緒に教会に参拝すると、先生から「これからは世のため、人のためになる生き方をするように」とご理解があり、息子も素直に耳を傾けていました。

 結局、息子は高校を退学しましたが、秋には他校に編入し、卒業することができました。
 その後は専門学校に通う傍ら、居酒屋でアルバイトをしていたところ、その仕事ぶりが認められ、店長を任されるまでになりました。さらに、数年前には念願だった自分の店を持つことができ、昨年には結婚のおかげを頂いて、今春、第一子を授かりました。
 子どもの成長には、親の願い通りにはならないところもありますが、問題に直面する中でお取次を頂いて、不安な心を神様に預け、時節を待っておかげを頂く道があることを知りました。これからも何が起きてくるか分かりませんが、この経験を土台に、人生を歩んでいきたいと思います。

(「心に届く信心真話」金光新聞2015年6月28日号掲載」)

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タグ: 文字, 信心真話, 金光新聞,