神人あいよかけよの生活運動 ―ここからの願い―
金光教報 「天地」11月号 巻頭言
山本定次郎の伝えに、「肉眼をおいて、心眼を開きて見なさい。お前も人間、私も人間。同じ天地の神から同じ御霊(みたま)をいただきておる万物の霊長(れいちょう)であるから、信心してご神徳を受けよ。此方(このかた)へ参って来んでも、稲木の天地も違いはせん。自分に頼んでおかげを受けねば間に合わん。まめな時に参りておかげを受けておき、病苦災難のある時は、山、野、海、川、道、どこでも、天地の神様、金光様頼む、と願え。直におかげを受けねば間に合わん。遠方と思うのは、ただ、この広前ばかりである。天地金乃神様は、けっして遠きも近きもない」(Ⅰ山定2─3)とある。 また、「まさかの時には裸でも田んぼの中でもよい、『金光様、お願いします』と頼めば、すぐおかげを持って来てくださる」(Ⅲ尋求17)とも、お伝えくださっている。
どこに居ても天地に違いはない。元気な時にお広前に参っておかげを受けておけば、いざというときには、いつでも、どこに居ても、どんな状態であっても、「金光様」とお願いすれば、すぐにおかげを授けてくださる、ということであろう。
そのためにも、日頃からお広前に参拝し、御取次を願い、頂き、目をつむればいつでも広前の情景が浮かび、お結界の金光様(先生)のお姿が浮かぶようになれば、どこに居ても安心であり、どんな時でもうろたえずにお願いすることができるはずである。
芸備教会の初代、佐藤範雄師の明治43年の話である。当時は、今の中国と朝鮮にも金光教の教会が各地にあった。各地を視察巡教して、1か月余りの旅から帰られた時の話である。帰宅されて、すぐに神様にお礼申しておられるのを、お供をしていた人が後ろから聞いていると、「このたびは金光大神様満鮮ご巡教のお供をさせて頂きましたが、無事に帰られまして有り難う存じます」とおっしゃっていたそうである。自分が巡教するのを助けて頂いたというのではなく、金光大神様が巡教されるのをお供させて頂いたと言われる。神様のご用を神様と共にという感覚であろうか。これは、常に神様に心を向けて、神様と共にあるという一つの姿であろう。
「神人あいよかけよの生活運動」では、「神人の道」が一人ひとりの生活に現されることが願われているが、願いの5行は、そのための筋道であり、ここ3年間は、3行目に焦点をあててきた。「御取次を願い、頂くことによって、神様のおかげに目覚めさせて頂き、お礼と喜びの生活を進めることができるようになる」ということである。
お礼と喜びの生活を進める姿をとおして、その生き方が周囲の人に自ずと伝わっていくこともあるし、この喜びを伝えずにはおられないという思いになることもあろう。いずれにしても、真に「神人の道」を現すためには、4行目を経て、はじめて現されたことになるのではないだろうか。
「願い」の4行目に「人を祈り 助け 導き」と示されているが、人心で考えると、「難しい」「できない」「私には無理だ」ということになりやすい。だが、その前に「神心となって」という言葉が付いている。
神心は、本来、誰もが頂いているものであり、「金光様」と祈るところに神心が発動するはずである。お広前を中心とした信心の稽古をとおして、自らの神心を育み、祈りをもっての取り組みでありたいと思う。また、「人を祈り」という時の「人」は、自分や家族も含め、まずは身近な人のことを祈るところから実践し、そこから祈りを広げていき、他人のこと、世界のことまで祈りが広がったとき、神心も大きく広がっているはずである。
教祖様は、「此方(このかた)は、しんじんは神人と書くぞよ」(『教典』Ⅰ近藤66)と仰せられ、また、「天地の大神様は親神なり。人は氏子なり。神人は、親子むつまじくするごとく」(『教典』Ⅲ教理1)とも教えられている。「神人と書く」と仰せられるような、いつでも神様と共にあるような信心生活を進めさせていただき、神の心のようになって、人を祈り、助け、導くことができれば、神様のご用に立つことになり、それこそが真に神人の道を現すことになるのではないか。
全教の皆様と共に、そのように「神人あいよかけよの生活運動」に取り組むことによって、信奉者一人ひとりの信心が成長し、神様の願いに添った信心へと展開し、それが「世界の平和と人類の助かり」のお役に立つことにつながっていくこと、それをここからの願いとしたい。