修徳殿入殿の願い
金光教報 「天地」9月号 巻頭言
現在の教規では、修徳殿は「信奉者が信心を進修するところ」と定められている。進修という言葉は、一般の辞書には載っていないので、「信心を進め修める」という文字通りの意味に受け取っていた。
しかし、昭和21年教規では、「信念修養を為(な)さしむる所」と定められていた。辞書によると、信念修養とは、「信じて動かない心を磨き人格を高める」といった意味になろうかと思う。当時は、「道の教師又は教師たらんとする者らの信念修養の場」と位置づけられていたようである。
昭和26年5月15日から4日間、輔導全員が自ら入殿して、御取次を頂きつつ、今後の進め方について懇談を重ねたことが、当時の教報に掲載されている。出席者は、教監片島幸吉、輔導白神新一郎、高橋正雄、堀尾保治、藤彦五郎、副輔導金原道文である。自ら入殿したことについて問われた高橋正雄師は、「別に範を示したのではなく、めいめいが入殿しておかげを受けたいと思ったからであろう」と答え、さらに、「入殿する前と後では、御取次を頂くということが、言葉では言えぬが、相当違ったものを頂いた。今まで、教務御用を頂いてとよく言うていたが、入殿してみて、もうただ純一に御取次を頂くより他にないと思われた。その内容は無限である」と語っている。
その後、昭和29年教規で「信心を進修するところ」と定められ、翌昭和30年の輔導懇談会において、次のようなことが確認されている。
「御取次を頂くということの実際を、修徳殿で輔導にみても頂き、また輔導の頂かれているところを直々にみせても頂くことができるわけであって、さらに入殿者相互に練り合うていくことによって、御取次を頂いての信心生活ということを具体的にわからせてもらえるのである」
このように頂いてみると、修徳殿は、単に信心を進めるため、人格を高めるための場ではなく、また、徳を身につけるための場でもないようである。ひたすら教主金光様の御取次を願い、頂くということを分からせてもらうために、ご霊地に身を置いて、本部広前の修行生として道を求めることを、自ら進んで願い出ることが、修徳殿入殿ということになろう。
話は変わるが、このたび、古い資料に当たっていて、前述の昭和26年の懇談会のなかに、高橋正雄師の次のような文章に出合った。
「これまで、教会の家庭生活は、第二義的なものに思われていて、お広前の御用に付随した程度にしか、思われていない憾(うら)みがあったが、家庭生活は、そうした付随的・第二義的にみるべきものでなく、お広前の御用と同様に、第一義的なものである。
つぎに、今日の複雑な家庭生活において、教会の家庭が、すべての点で、他の模範になるというようなことは、できるものではない。さりとて、どうであってもかまわぬというのではないが、それぞれのあり方において、手本ということでなく、一つの『見本』ということで、信者の家庭生活の見本として、御取次の内容としての進み方をさせて頂かねばならぬのではないか」というものである。
わが家庭を顧みても、手本と言えるにはほど遠く、反省ばかりさせられているが、さまざまな問題はあっても、御取次を願い、頂き、そのなかをどうにか乗り越えさせていただいて今があるという、ありがたい一つの「見本」になるべく、今以上に家庭生活を大切にさせていただきたいと、思いを新たにさせられた。
ついては、教師も信徒も、それぞれの家庭をはじめ、生活の現場において問題となっている事柄をそのまま抱えて入殿し、教主金光様の御取次のもと、輔導と共に信心の道を求め、それぞれの助かりへの筋道(見本)を現して欲しいと願うものである。