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神様からの大きな宿題【金光新聞】

つまずき痛めた足から

 おととしの秋分の日、私は、教会で毎年お仕えしている秋季霊祭のお供え物の準備をしていました。やがて、生花の盛り籠をご霊前にお供えするだけになりました。
 「これでおしまい」という油断があったのでしょう。籠を運んでいる時に、お結界の柵に足を引っ掛けてつまずき、とっさに盛り籠をかばいながら倒れました。
 盛り籠は無事でしたが、柵を蹴り上げた右足の甲が赤く腫れて痛みました。
 私は祭典で正座ができるか不安でしたが、どうにか祭典を仕えることができました。その後も足の腫れは増していきましたが、翌日、翌々日と用事があり、病院に行けないまま足を引きずって過ごしました。
 結局、けがをしてから3日後に病院に行き、レントゲン検査を受けました。診断結果は、骨折やひびもなく、異常なしということで、診察した医師も不思議がっていました。
 ところが、医師の説明を聞いているうちに、急に私の胃が痛みだしたのです。

 実は、1年前から時々胃が痛むことがあり、市販薬を服用していました。しかし、徐々に薬が効かなくなり、胃痛が起こるたびに、みぞおちを手で押さえるのが癖になりました。そのしぐさに医師が気付いたことから、胃痛があることを打ち明けると、すぐに胃カメラの検査を受けるようにと言われたのです。
 10月のうちに、と医師から言われましたが、10月は教会のご大祭の準備などで忙しいため、11月下旬に受けることにしました。しかし、できれば検査を受けたくない、という気持ちがあり、何とか断る口実も見つけようと考えていたのです。

神様からの宿題、答えられる私に

 やがて、断る手立てが見つからないまま、気が付くと検査日を迎えていました。私は観念し、検査を受けました。
 その結果、胃にがんが見つかり、昨年の1月上旬に胃の4分の3を切除する手術を受けたのです。
 入院中は、検査、手術共に支障なく終えることができましたが、手術中にリンパ節への極めて小さな転移も見つかり、抗がん剤治療を受けることになりました。
 それでも順調に回復することができ、術後5日目からは普通食を頂けるようになりました。
 胃を常に動かすために、食事は1日5回に分けて取ることになりました。おなかがすいていないのに食べなくてはならないということは、想像以上に大変なことで、おなかがすくことのありがたさを今更ながら分からせてもらいました。
 また、ベッドで静養している間に、「神様は私を助けて、何をせよというのだろうか」「神様から頂いた大きな宿題に答えを出すことができるだろうか」と、前年9月の霊祭からこれまでのことを思い返しながら、考えるようになりました。

 そんな中で、金光教のある先人の、「ものみなは神の恵ます賜 (たま) ものぞあだにはならじわづかたりとも」というみ教えの短歌を思い出したのです。
 手術を受けるまでは、その意味をあまり理解できませんでしたが、今はその内容を深く考えるようになりました。
 命を頂いたこと、日々、何の支障もなく生活させて頂いていることに感謝し、神様から頂いた宿題に答えられる私にならせて頂けるよう、ここからの生活に取り組みたいと思っています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(「心に届く信心真話」金光新聞2015年3月15日掲載)

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タグ: 文字, 信心真話, 金光新聞,