見聞きする全てをわが事に【金光新聞】
目の前の問題とどう向き合うか
本教では、「生活即信心」「信心即生活」といわれる。この「生活」という言葉には、自分の身の上に起きてくることのみならず、生活の中で見聞きする全ての事柄が含まれていると思えるようになった。
日々、さまざまなニュースがテレビや新聞を通して報道されている。なかなかできることではないが、私はそうした事柄の一つ一つをわが事として受け止め、祈りを持って自分にできることを求めていきたいと考えるようになった。
そのきっかけを与えてくれたのは、若いころに経験した2人の先師の言動だった。
高校生の時、父の仕事の都合で岩手県盛岡教会に参拝していた私は、たびたび初代教会長・藤彦五郎(ふじげんごろう)師のお説教を聴かせて頂いた。
ある時、師は、ある時事問題を取り上げて話をされた。残念ながら、それがどのような時事問題だったか失念してしまったが、話の途中で師は涙を流しながら「申し訳ない」と言ったきり、そのまま言葉に詰まってしまった。
その状況が全く理解できなかった私は、いたたまれない思いになったことを覚えている。その問題の当事者でもない師が、なぜそれほどまでに責任を感じて、参拝者に泣きながらわびたのか、全くもって不可解だった。しかし、不可解だった故なのか、今も鮮明に記憶している。
もう一つは、信奉者家庭で育った私が金光教教師を志し、金光教学院で修行生活を送っていた時のことである。学院生活も終盤となった3月、ある高名な先生の講話が行われ、学院生全員で傍聴させて頂いた。70歳に近い講師は、何か重い病気を患っていて、終始、横に置いていた痰壺(たんつぼ)に、痰を吐きながら話をされた。
講話後の質疑応答で、一人の参集者が手を挙げて、「金光教のこれからを担う、われわれに何かメッセージを…」といった内容の質問をした。
すると、講師は怒気をはらんだ口調で、「どうして君はそういう質問の仕方をするのか? 君より先に私が逝くと、どうして分かるのだ」と言い返したのである。その場の状況を見れば、「あなたが先でしょう」ということは誰の目にも明らかだった。
にもかかわらず、本気で言い返すことができるこの人の在り方こそ、本物の宗教家だと思わずにはいられなかった。この時に受けた強い衝撃は今でも忘れることができない。
平成12年、私は一人息子を24歳の若さで突然失うという体験をした。まさか息子が私より先にあっけなく逝くとは、思いもかけないことだった。誰が先に逝くかなんて誰にも分らないことだと、つくづく思う。
そして、 平成23年3月11日の東日本大震災。想定外の大地震、 大津波に加えて原発事故まで起きた。若いころに貴重な体験をしてきたにも関わらず、そうしたことが起きてくるまで、世の中に起きていることを人ごととしてしか見聞きしてない私だったことに気付かされた。
福島第1原発から60㎞の場所にある教会でご用する教師として、また一人の信仰者として、この問題にどう向き合うべきか問い求めながら、現在さまざまなことに取り組んでいるが、2人の師のような問題の担い方はいまだできない。
それでも、神様と共に目の前の問題に取り組み、見聞きする事柄をわが事として受け止め、その思いを表していくことにとことん取り組んでいきたい。その営みこそが信仰者にとってのエネルギーであり、社会に対するメッセージを発していくことにもつながるのだと信じている。
(「フラッシュナウ」金光新聞2016年3月20日号)