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自分のことは次にして【金光新聞】

祭服から着替えようとした時のこと

 金光教の本部(岡山県)では、春秋の大祭をはじめ年に3回祭場で祭典が仕えられ、多い日には1万人以上が参拝します。
 祭典では、教主金光様が祭主をお務めくださり、教祖様に始まる生神金光大神御取次のお働きのお徳とごひれいが満ちあふれています。
 そうした中、春秋の大祭時には、教主金光様と共に祭服を着けて祭典を奉仕させて頂きたい、と願いを立てて、各教会から教師が参列します。
 私(55)は教会長のご用を拝命してしばらくは、平服での参拝でした。そんなある日、親教会の先生から、「教主金光様が祭服を着けられ、お仕えくださっているのに、われわれ教師が平服の参拝でよろしいのか」と問われたのでした。
 私は「遠方だから仕方ない」と、心のどこかで言い訳をしていたことに気付き、大祭時にはできるだけ参列させて頂くよう心掛けています。

 ところで、今春の天地金乃神大祭に参列させて頂いた折に、私は次のような体験をしました。
 祭典後、祭服から平服へと着替えようとした時のこと。更衣室はすでにいっぱいで、どうしようかと思案していると、ある先生が「お先にどうぞ」と声を掛けてくれました。そして、その先生は、脱いだ祭服を横にのけられ、その場所から離れました。
 私は一瞬ためらいましたが、帰りを急いでいたこともあって、その先生のご好意に甘えさせてもらいました。しばらくして、私が祭服を畳んでいると、ご用奉仕の信徒の方が私の横に来て、その先生の祭服を手際よく畳み始め、私とほぼ同時に畳み終えたのです。
 教祖様のみ教えに、「自分のことは次にして、人の助かることを先にお願いせよ。そうすると、自分のことは神様がよいようにしてくださる」というものがあります。その日、教会に戻った私は一日を振り返りながら、この教えを心に思い浮かべていると、大切なことをおろそかにしていたことに気付かされました。

全ての人の助かりと幸せを祈る

 それは金光教の職員録をご祈念させて頂くことでした。 実は数年前、改訂された新しい職員録を本部で頂いた際、私の不注意から一時的に紛失してしまったことがありました。職員録には教主金光様をはじめ、本部や各機関の職員、全教会の先生の名前や住所が記されています。その後、無事手元に戻ってきましたが、あらためてその取り扱いに心を込めていくことが要ることを痛感しました。
 それが契機となって、それまで使っていた職員録をよく見ると、随分と使い古されていることに気が付きました。生前、父はこの職員録をめくりながら、全教のことを祈念していたのではないか。そんな思いがめぐり、以来、私は新しい職員録を毎日1ページずつご祈念するようになったのです。ところが、いつしかそのことがおろそかになっていたことに、今回の出来事を通して気付かせて頂いたのです。

 私たちは、健康や仕事、人間関係に至るまで、いつ何が起きてくるか分からない日々の中を生きており、何事も神様にお願いし、おかげを受けずにはいられません。「自分のことは次にして」いくことは容易ではありませんが、自分のことだけでなく、周りの人、さらに全ての人の助かりと幸せを祈り続けていくことが大切だと思うのです。信心を土台に、そうした神様と共に歩む生き方を進めたいと願っています。

(金光新聞「心に届く信心真話」2014年10月5日号掲載)

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