祈り祈られる中で妊娠【金光新聞】
妊娠のおかげをいただきたい
秋子さんは25歳の時に、地方から首都圏の教会に嫁いできました。嫁いだ当初こそ、見るもの聞くもの全てが新鮮でしたが、日がたつにつれ、郷里とのさまざまな違いに戸惑うこともありました。
そうした日々の中で、秋子さんは早く子どもを授かりたいと願っていました。しかし、その兆しは一向に表れません。やがて親戚や周りの人たちから「お子さんはまだですか」と聞かれるたびに、その言葉が心に重くのしかかるようになっていったのです。
秋子さんは思い切って病院で診てもらうことにしました。すると、右の卵管がつぶれ、左の卵管も細くなっていることが分かり、医師から「(妊娠は)かなり難しい」と言われたのです。
そう告げられても秋子さんは、諦めきれず妊娠のおかげを頂きたいと教会のお広前で願い続けました。しかし、妊娠の兆候は見えず、何度も諦めかけました。そのたびに、「神様を放すことなく、お任せしよう」と気を取り直しては、またお願いするという繰り返しでした。
そうして、結婚して6年目を迎えたある日、体調に異変を感じ、病院で診てもらうと、妊娠していることが分かったのです。
医師から「おめでたです」と言われた時、秋子さんの胸中に「まさか」という驚きとともに、ありがたさが込み上げてきて、心の中で「金光様!」と叫んでいました。
病院から帰ると教会のお広前で、義父である教会長に報告をし、神様にお礼を申し上げました。秋子さんが、子を授かりたいと神様に祈ってきた中で、義父母もまたそのことを静かに祈り続けていました。しかし、秋子さんの負担になってはいけないと、そのことには一切触れずに陰ながら神様に祈り続けてくれていたのです。
長男・長女と授かり
翌年の2月、秋子さんは無事に長男を出産しました。
さらに3年後に、再び新しい命を授かることができました。
秋子さんの体調がずっと優れない中で、予定日より早く帝王切開で出産しました。1800グラムの女の子でした。この出産の数時間前、医師から秋子さんの夫に、母子共に予断を許さない状態だと告げられていましたが、命に別条なく出産のおかげを受けました。
そうして生まれてきた長女は、幼少のころは体が弱く、小児ぜんそくとの闘いでした。夫はぜんそくの発作が出るたびに神様に祈って、自転車で病院まで連れていっていました。
大変な状況の中でも、夫婦で神様におすがりし、おかげを頂いていく中で、長女は中学生になるころにはバドミントンクラブに入り活動できるほど元気になりました。
自らのぜんそく治療を通して、医師やいろいろな方のお世話になったことを覚えていたからか、将来の進路を決める際、「福祉の仕事に就いて、少しでもお役に立ちたい」という希望を持ち、福祉関係の大学に進み、卒業後は障害児支援学校の教員となりました。
一方、長男はサッカー少年としてすくすく育ち、学校卒業後は金光教の教師を志し、今では結婚して2児の父親となっています。
秋子さんは、妊娠、出産、育児など、自らの体験を通して、起きてくる出来事の一つ一つを神様に祈り、すがりながら進めていくことの大切さや安心感、教会の先生や家族に祈ってもらえる幸せを日々感じています。
※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています