我慢と信心辛抱の違い【金光新聞】
嫁ぎ先での擦れ違いが生じ
今から60年ほど前のこと。智子さんは、参拝していた教会の先生の紹介で、農業を営む信夫さんと結婚しました。
婚家は農家でしたが、義父は幼稚園も経営していて、智子さんもその運営に関わりました。とはいえ、当初はどうしていいのか皆目分からず、戸惑うことばかりでしたが、幼児教育に関わる研修などに参加して学びながら頑張りました。
その一方で、家庭では3人の子育てや、病身の義母の介護もしなければならず、心身共に休まることのない日々でした。
やがて、義父と考え方や感情の擦れ違いが出始め、さらには婚家の親戚からも、智子さんの言動に厳しい目が注がれるようになり、その理不尽さに居たたまれない思いになることも度々でした。
智子さんは、その都度、教会へ参拝し、お取次を頂いて神様に心を向けようと努めました。
教会の先生は、「今の状況はつらいだろうが、そこを我慢するのでは助からない。信心辛抱をなさい」と言われました。
しかし、智子さんには先生が言われる「我慢」と「信心辛抱」の違いが分からず、その日その日のつらい出来事を思い出しては、涙で枕をぬらすことも少なくありませんでした。
寝たきりの義母の介護でも、智子さんなりに一生懸命取り組んでいるのに、「そんなことも分からないの」と、義母から厳しい言葉を浴びせられることもあり、胸の内に鬱積(うっせき)していたものがはち切れそうになりました。智子さんは、その苦しい思いを神様にぶつけるように「金光様、金光様」と心の中で唱えました。そうしているうちに、不思議と心が落ち着くようになっていきました。
「金光様」という心の支え
そんなある日、いつものように「金光様、金光様」と唱えていると、ふと、教会の先生の言葉が心に浮かんできました。「そうか、我慢だと苦しい思いが膨らむだけで、いつかは爆発する。でも、信心辛抱は『金光様』という心の支えがあるから、つらいことでも受けていくことができる」。
それからは、つらい気持ちを神様にぶつけながら、義父母と向き合うように努めました。
すると、だんだんと義父母の言葉を素直に受け入れられるようになっていきました。また、大切な子どもたちの成長のお手伝いをさせて頂きたいという、幼稚園への思いも、これまで以上に込み上げてきました。
それから10数年後、義父が亡くなると、夫の信夫さんが幼稚園経営を継ぐことになりました。
智子さんは信夫さんと共に、義父が定めた「天地を大切に、子どもの時から豊かな心を育てることが大切」という幼稚園の育成理念に基づき、餅つきや七夕など日本の暦にある年中行事に合わせた取り組みや、茶道教室、農業体験などを幼稚園のカリキュラムに取り入れました。そうした運営が注目され、幼稚園の評判は、以前にも増して上がっていきました。
おととし、夫の信夫さんが亡くなりました。それを機に、遺産分与に関わって、信夫さんのきょうだいとの間で波風が立ちましたが、智子さんは教会でお取次を頂き、双方が立ち行くよう祈りました。
その後、幼稚園は智子さんの長男と次男が協力して運営しています。
そうして、信心辛抱で人生を歩んできた智子さんは、79歳になった現在も、園の副理事長として、子どもたちの成長を祈り見守っています。
※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。